責は諸君にあらずしてこの日比翁助にあつたのである~三越の古典に学ぶ その11~
それでは「第一編 商売繁昌の源泉」からご紹介したい。
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第一編 商売繁昌の源泉
○大発展する商売の秘訣
◎顧客が品物を買ふ以外の要求
昔と今とは商売の仕振が違って来た。昔、客が来るのは唯其需要を満たす為のみであつた。マッチを呉れ、マッチを渡す、客は夫れで満足して帰つた。昔の客の目的はマッチを手に入れると云ふことより外に何もなかつたのである。所が世が進歩すると共にさう単純に行かなくなつた。即ち客の要求が殖えて来たのである。マッチを呉れ、はいマッチを渡す夫れ丈けでは客は満足しなくなつて、一服おつけなさい、御茶を召し上れと云ふ様な調子で客に或一種の快感を与へないと満足せぬ。マッチをくれ、宜しいと云ふよりも、有難うございます、まあ一服召し上れと云つて客に一種云ふべからざる快感を与へると、他店より安くなくとも高くさいなければ喜んで其店に客が来る。即ち客は品物を手に入れると云ふ当面の目的よりも、此快感に接すると云ふことを寧ろ主として居る。
是が顧客の新要求で、此新欲求は品物を買ふことより大なる勢力を持つて居るものである。故に今日の小売商店は此新要求を満す様に設備すると否とが繁昌するとせざるとの分岐点になつて居るのである。仮に三越が他店に比して繁昌して居るとすれば先づ此点に着眼し、顧客の新要求に応じて居るからであらう。三越に入れば一種云ふ可からざる快感を与へられるからであらう。三越が品物を安く売るのは云ふ迄もない事であるが、夫れ以外無形の快感を与ふることに費やして居る費用は莫大なもので、先づ這つて来れば色々の装飾品が客の眼を楽しめる、店内には休憩室がある。此処では茶を呑んだり菓子を食べたり、自由に愉快にして居られる。又三階に行けば一種違った『竹の間』があって更に客の心に新たなる愉快を与へる。三越は凡て此の如く周到なる用意と莫大なる費用とを以て客に快感を与ふる様な方法を執って居る。
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商品そのものだけでなく、接客サービスや環境なども含めた「買い物体験」によってお客様に快感を与えることが差別化戦略として必要との考え方が示されている。コトラーが「マーケティング1.0」と表現しているのはT型フォードに代表される“低価格製品を大量生産し、マスメディアで情報発信する”もので、1900年頃~1960年代頃のマーケティング活動であった。『商売繁昌の秘訣』が書かれたのは1915年。この時点で既に「顧客体験」を重視すべきことを述べていたことは特筆すべきことと考える。