人間の心はどう形成されるのか?知ってるようで知らない心の形成プロセス

子どもはみんな天才だと、症例を通していつも実感します。その芽を、才能を、どのように育てればいいのか。どのように対応すればいいのか。
ここでは5歳の女の子の症例を通して、子どもの才能を伸ばす大人の対応についてお話いたします。
【症例】5歳の小さな挑戦

20代女性クライアントが、5歳のときのトマトの話をしました。
それはトマトの切り方を教えてもらった話でした。教えられた通りヘタのところから切ってお母さんに見せると、「身の切りすぎ」と、初めてしたにも拘わらず、お母さんはそう言いました。
その後、この5歳の女の子はどうしたでしょうか。
女性クライアントがそのときの話を文章にまとめましたので、ご紹介いたします。
ねんどのトマト
トマトを切るたびに思い出すことがある。五歳の頃、お母さんの手伝いをしたかったのか「トマトを切りたい」と言った。お母さんはどう切るのか手本を見せてくれた。トマトを縦半分に切り、ヘタの左右からV字に切りヘタを取る。五歳の私は初めて野菜を切ることにワクワクしながら包丁を持った。
たどたどしく慎重にトマトのヘタを取った。私は嬉しくてお母さんの顔を見た。「身を切りすぎ」開口一番そう言われた。褒められることもなくお母さんが片付けを淡々としているところを見ていた。その時私は「五歳の子供が初めて野菜を切ったのに言うことがそれか」と腹が立った。
あまりの悔しさにリベンジを果たすべく練習を始めた。二度目の失敗は許されない。粘土を使って(多分油ねんど)トマトを作った。身とヘタを分けて作り合体させたトマトを、粘土を切るピーラーみたいなもので半分に切り、ヘタを切る。切ったトマトはまた丸めてトマトに作り直す。それを何回も何回も繰り返し練習した。一週間か二週間かぐらい夢中で切り続けた。
粘土のトマトで練習を続け、これ以上の上達は見込めないと思い、お母さんに「またトマトを切りたい」と言った。練習の成果か「今回は上手く切れた!」と私は思った。これならいける! とお母さんの顔を見た。「切れたね」それだけだった。「すごい」も「よくやった」も「頑張ったね」も無かった。私が欲しかった言葉は一つももらえなかった。
悲しいとかはなかった。トマトを切るということに私は「できた! 嬉しい!」と思ったが、母からすればできて当たり前の事なのだと思った。五歳の私からすると、頑張ってできるようになった事であっても、大人から見るとできて当たり前の事なのだと思い知った。どうかしていると思ったが、相手がそう思っている以上、私には黙って受け容れるしかないと、それを通して学んだ。
何故この話が五歳の頃と分かるかというと、六歳以降になると自分を保つのにいっぱいいっぱいで新しい事に挑戦する余裕が全くなかったから。まだ元気があり、活動的だった五歳の頃でないとトマトを切りたいなどと言うはずがない。そうして粘土のトマトは日の目を見ることもなく、何の役にも立たなかった可哀そうなトマトとなった。
しかし、この話を努力の話だと言ってくれる人が現れた。五歳の私の頑張りは十七年越しに報われた。自分で無駄だったと思っていた努力も認めてくれる人がいるのだ。粘土のトマト、良かったね!
【闇鍋合同誌 vol.2「ゴロゴロ三昧」】より引用
子どもの才能を見い出せる大人の目 と 才能を伸ばす大人の一言
粘土でトマトを作り、ヘタまで別に作った。それを何度も何度も作りかえて練習したと言います。「切ったらどうするの?」と訊くと、「同じ粘土でいくつも作るのではなく、1個を何度も再生して練習しました」と。
素晴らしい発想だと称賛しました。その創意工夫と努力する気持ち、ともかくそれを身に着けようとする願い、祈りに満ちた願い、このときお母さんが称賛したらこの子は天才になりました。
人間の脳と才能というのは、生かすも殺すも大人の環境だということを、気付かせてくれるエピソードです。5歳のときにそんな教訓も経験値も何もありません。発想力とその知性の高さにただ驚くばかり、それが、子どもは天才だと言う所以です。
大人の一言は、『ねんどのトマト』に書いてあるとおり
「すごい」「よくやった」「頑張ったね」
など、承認と称賛の一言に尽きます。
すると、子どもは
- できることは面白い!
- 面白いから練習する
- 練習すると上手くなる
- 上手くなると大好きになる
- そして「次は」
と、次へとステップアップ! 探求心と向上心でいっぱいの子どもは、その中で自分の興味のあることを見つけ、誰かと比較して秀でていることに興味はなく、自分の長所を伸ばし、どんどん好きなことを発展させていきます。
どんな事でも、何でも、子どもにとっては当たり前でも普通でもありません。すべてはその子の新しい発見であり、思いであり、喜びであり、考えです。子どもが子供なりに頭を使って何かしたことを、出来不出来ではなく、その発想や思考をいかに取り上げることができるか。大人が見逃さないで発見できる目が、子どもの才能を花開かせる瞬間と言えるでしょう。
精神分析は考古学、発見と復活、そしてNEXTへ
しかし、それを育てるルートがありません。そこに承認と称賛があれば、きっと育っただろうということ。『ねんどのトマト』ような経験があると、二度と創意工夫をしなくなります。努力が「面倒くさい」「どうせ」「どうでもいい」などという言葉に変容し、努力しなくなります。
この症例は、決して特別なものではなく、日常の子育ての中で誰もが直面する普通の出来事です。精神分析は、何十年も経ってしまったこのような出来事を、もう一度復活させ甦らせます。そして、そこから自らの力で唯一無二の自分へと動き始められるよう、寄り添いサポートするのが分析者です。
その第一歩が承認と称賛。年齢は関係なく、誰でも、いつからでも始められます。
⇨ 子育て相談室
⇨ 家族セラピー
⇨ 個人セラピー
関連コラム
⇨ 子育て-support-
⇨ 子供に「心ってなに?」と聞かれたときにどう答えるか
⇨ 厚着の子供が増えている⁈ 子供に風邪を引かせられない母親たち
クライアント様の声
⇨ 子育てが辛い!イライラが止まらない!その原因は私のせいじゃなかった



