子どもを守る家族の信頼と絆
諦めることが最も危険!
子どもたちを犯罪から守るために最も必要なのは、子どもたち自身の防犯意識です。その為には、社会的弱者である自覚が重要になります。
昨年より、子どもたちを対象にした凶悪事件が相次いでいます。報道の過熱に伴い、犯罪不安も高まるばかりで、子どもたちを守る術がなかなか見つからないと悩む方も少なくないと思います。しかし、不安を放置したり、対策を諦めたりしないでください。思考を止めてしまうと、異変を察知しにくくなり、危険な状況を見過ごしてしまいます。子どもたちと一緒に考え、学び続けることが安全と安心への近道です。
子どもたちを守る3つのキーワード
私たち大人は日頃から、子どもたちの成長を促すために、お手伝いや整理整頓などを言い聞かせています。子どもたちは、誉めて欲しい一心で頑張ります。しかし、経験が少ないことから状況判断ができず、失敗してしまうことが多々あります。犯罪者は、こんのような子どもたちの誉めて欲しい(役に立ちたい)という純粋な心と経験が少ない欠点を巧みに利用して犯行に及んでいます。
子どもたちを狙う犯罪は、営利(身代金)、わいせつ、占有、そして凶行など、目的は様々です。しかし、子どもたちが1人になった時に発生している共通点があります。子どもたちが1人になる状況では、下校時の友達と別れた後、遊びや習い事などに出かける時、帰る時が考えられます。犯行を遂行させたい犯罪者は、このような「瞬間」を待っています。
また、犯罪の起こりやすい場所があり、誰でも出入りできる場所と死角になる場所です。特に注意が必要なのが「死角」です。一般的には「見えない場所」「見えにくい場所」と考えがちですが、ここに大きな落とし穴があります。「死角」は、見えない、見えにくいのほかに「見ない」があり、「普段気に留めない場所」「見たくない場所」があります。雑木林や草が生い茂る場所は「普段気に留めない場所」、ゴミが散乱・放置された場所は「見たくない場所」として挙げられます。犯行を見られたくない犯罪者は、このような「死角」を選んでいます。
そして、犯行前には不審者情報などが多く寄せられており、前兆(ヒヤリ・ハット)と考えられています。前兆は、何も起こらなければ忘れられる(興味がなくなる)ものです。しかし、対処しないことで、危険性を積み重ねて行き、積み重ねた分だけ大きな反動となり、子どもたちに襲い掛かります。
このことから、子どもたちを犯罪から守るためには、「1人にならない、しない」「死角を作らない、増やさない」「情報を共有して、警戒心(興味)を持つ」ことが重要です。
警戒心とコミュニティの強化こそ防犯対策の基本
子どもたちが毎日行き来する通学路には、1人にならない工夫が多く施されています。集団登下校、保護者や防犯ボランティアなどによる引率、学校の先生や私たち市民による見守りなどが挙げられ、防犯カメラの設置や設置計画も全国各地で進められています。しかし、子どもたちが被害に遭う機会は「登下校時」だけではなく、帰宅後の「外出時」に多いことが解っています。これは、通学路の防犯対策に「効果がある」と考えるべき現実です。また、子どもたちを取り巻くコミュニティの存在が不可欠なことも見逃せません。
では、1人になる機会が多い「外出時」の防犯対策(工夫)を挙げてみます。まず、1人にならない工夫には「知っている人を増やす」ことが考えられます。挨拶などコミュニケーションを通じて1人ではないことを犯行を企む者にアピールし、自然な見守りが期待できます。次に、死角を作らない工夫として「美化運動」が考えられ、雑木林の清掃や生い茂った雑草の除去、散乱・放置されたゴミの撤去などが挙げられます。そして、不審者や声かけなどの情報は積極的に取得し、話題として広め、共有することが大切です。
このように、私たちの犯罪に対する警戒心(興味)が、子どもたちの見守りに繫がり、死角の減少にも役立ちます。つまり、警戒心(興味)が防犯意識となり、見守りや死角の減少が犯罪を回避する行動です。
子どもたちは、ひとり一人が自由な意思で行動し、私たち大人が驚くことを遣りのけてしまうことがあります。このような時は、経験の少なさが手助けをしていることが殆どです。しかし、失敗を繰り返して、経験を積み重ねていくのが子どもたちです。また、私たち大人も犯罪に関しては経験が少なく、知識が足りないのも現実です。子どもたちを凶悪な犯罪から守るためには、教えるのではなく、一緒に学ぶことが大切です。そして、私たち大人が被害者にならないことが、子どもたちの防犯教育になります。