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コラム

人は死んだら「ゼロ」なのか

お墓に関する社会のこと

2017年5月15日 / 2017年9月21日更新

皆様、こんにちは。
少し間が空いてしまいましたが、前回のコラムに引き続き、「ゼロ葬」というものについて、私の考えるところを書いていきたいと思います。

死=ゼロという解釈について


葬儀も行わない、お墓も作らない、遺骨も引き取らないという、「ゼロ葬」。提唱している島田氏によれば、「人は死ねばゼロになるのだから、何も残さない方がスッキリする」という事のようです。私はこの点に疑問を持ちます。人が死んだら、果たしてゼロ=無になってしまうのでしょうか?
確かに、亡くなった方を荼毘に付せば、元あった肉体は燃えてしまい、骨だけが残ります。亡くなった方と言葉を交わすことは出来ませんし、その人の意志や人格に接することは二度と出来ません。生前の姿を見ることが出来なくなってしまう、言葉を交わすことが出来なくなってしまうという事=死を通して現世と断絶してしまうという事は間違いないわけです。

しかし、生きていた人一人、死んでしまったからと言って、その人が生きていたという厳然たる事実が失われるわけではありません。その事実があるからこそ、残った、残された人は、死という命が失われたという事実に心を痛め、気持ちをを整理しなければならないのです。本当に「死ねばゼロ」なら、親しい人が亡くなったとしても誰も弔う気持ちを持つことなど無いでしょう。人が亡くなったとしてもなお、親しい人の心にその人はいるわけです。人が亡くなることは、ゼロになる事では決してないと思います。
だからこそ、人は連綿と続く営みの中で、死者のご遺骨を大事にしてきたのでしょう。ご遺骨は結果的に残るのでは無く、人が生きてきた証として、あえて残してきたものなのだと思うのです。

ゼロではないからこその、葬儀とお墓


親しい人を亡くしたとき、その心の喪失感は他には例えようがありません。人一人の存在は、他の何かで埋め合わせることは出来ないものです。人はその喪失感を埋める機能として、葬儀という儀礼を通し、人が亡くなってしまったという現実と向き合ってきました。それは儀式・儀礼のやり方の違いはあれ、どこの国の人でも行ってきたことです。
そしてまた、(それこそネアンデルタール人の頃から)人は亡くなった方のためにお墓を造り、死者を悼み、冥福を祈ってきました。それは、ご遺骨が亡くなった方自身にとって、何より遺された人達にとって大切なものだからです。
「ゼロ葬」というやりかたで、本当に人の心の整理が出来るのか。むしろ、葬儀やお墓を簡略化することによって救われない心や魂が生まれてしまうのではないか。私はそれを危惧しますし、安易な流れに身を委ねたがゆえに、後悔する人が出ないことを願うばかりです。

☆今まで綴ったコラムを以下にまとめてあります。

ジャンルごとコラムまとめ

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