神道とお墓の関係
皆様、こんにちは。
前回のコラムでは、檀家制度が江戸幕府の政策によって確立されたものであるという事を書きました。
その後から、現在に至るまでの事情を今回は書かせていただきます。
江戸幕府による幕藩体制から、明治政府による体制に変わった時代。明治政府は「江戸幕府的な物」の解体にいそしむことになります。
その内の一つが、前回書きました「寺請制度」。全ての国民は寺院の所属=檀家であるというシステムは、寺院を実質的な幕府の出先機関に位置づけるものでもありました。明治政府としては、そのような物が連綿と続いて、江戸幕府の遺産を残されては困る、と考えた(部分もあると思います)事から、「廃仏毀釈」という暴挙に出ます。
廃仏毀釈とは、寺院や仏像を破壊し、システムとしての寺請制度もまた破壊する、という運動でした。
このことによって、檀家制度自体は後々まで残ったとはいえ、寺院への帰属の義務化という制度はなくなっていきました。
時代が移り変わって現在、人口の流動化に伴い、都市部への人口が集中することになりました。それと同時に、以前檀家となっていたお寺から離れ、新たに都市部での生活を続けていく中で、檀家としての関係性がどんどん疎遠になっていくという傾向が生まれました。檀家制度の変化は、時代と生活の変化とまさに繋がっているわけです。
次回では、現代の檀家制度におけるメリット/デメリットについてお話しいたします。