お盆の風習とお墓
皆様、こんにちは。
今日は「供養」という言葉について考えたいと思います。言葉の意味について、まず辞書を引いてみて確認しましょう。
供養とは・・・1 死者の冥福を祈って法会を営むこと。また、開眼供養・鐘供養・経供養など寺院の仏教行事をもいう。供養会 (くようえ) 。「先祖の―をする」
2 仏・法・僧の三宝や死者に、供物を供えること。また、その法会 (ほうえ) 。
死者の冥福を祈る法要を指す言葉であると同時に、供物(おそなえもの)を供えるという意味でもありますね。
亡くなった方の冥福を祈るという、宗教的な感情抜きでは、「供養」そのものが理解しにくいかもしれません。しかし、宗教的な感情と言っても、何も特別なことではないのです。親しい方を亡くした悲しみや喪失感、亡くなった方に安らかに眠って欲しいという願い、それらが渾然一体となった感情は、訃報に接した方は誰でも抱かれるのではないかと思います。この痛みや悲しみを昇華したいと願う心こそが、「宗教的感情」であり、昇華するための儀式・儀礼が供養=葬儀なわけです。
供養という言葉が表すとおり、その昔、供養と言えば「物」を供える事が当たり前でした。供える物が立派であればあるほど、冥福を祈る気持ちもまたそれだけ大きなものであると思われていました。時代は移り変わり、物の代わりにお金を差し出すようになりました。立派に供養するためには、それ相応にお金を差し出す必要がある。以前はそう思われていましたし、今でもそう思っている方もいるでしょう。ところが、供養という概念そのものが薄れてしまっている人にしてみれば、お金をかける必要性が見いだせない、という話になってしまうのです。ここに通じるのが「お布施」の問題です。
長くなりそうなので、「お布施」についてのお話は次回にさせていただきます。