男女間トラブル事件簿その12~別れられない。別れてくれない。
平成26年4月14日、東京地方裁判所で世間の注目を集める判決が言い渡されました。銀座のクラブのママが、既婚男性と約7年間にわたって不貞関係を持ったとして、その男性の妻から損害賠償請求を受けた事案についての判決です。
裁判所は次のように判示して、妻の請求を退けました。
「クラブのママないしホステスが、顧客と性交渉を反復・継続したとしても、それが『枕営業』であると認められる場合には、売春婦の場合と同様に、顧客の性欲処理に商売として応じたに過ぎず、何ら婚姻共同生活の平和を害するものではないから、そのことを知った妻が精神的苦痛を受けたとしても、当該妻に対する関係で、不法行為を構成するものではないと解するのが相当である」
この判決は、想定外の内容であったことから、当時、「枕営業判決」として各種メディアに取り上げられ、私たち法律家のみならず、広く一般にも知られるところとなりました。
判決は、顧客の同伴出勤や自身を目当てに店に通う顧客を得るために、枕営業をするママやホステスが少なからずいるのは「公知の事実」(公に知られている事実。裁判で当事者がわざわざ立証しなくても認定できる)であるとし、性交渉を持つのは「営業行為」に過ぎないのだから、ソープランドに勤務する女性に対して損害賠償請求ができないのと同様に、クラブのママやホステスに対しても損害賠償請求はできないとも示しています。
判決の問題点
この判決はクラブのママを勝訴させていますが、その理由付けとして、クラブのママやホステスを売春婦と同一視している点で相当特異な判断だといえます。クラブのママやホステスが皆「枕営業」をしているなどとは言わないが、「枕営業」をする者が少なからずいることは世の中に広く知れ渡っていることであり、これも営業の一部だとしているのです。
確かに、水商売には「疑似恋愛」を売りにしている一面もありますが、だからといって、クラブのママやホステスが「営業行為」として客と性的関係を持つことは珍しいことではないというのは、かなりの疑問があります。営業職の会社員の女性が契約を獲得する目的で、取引先の既婚男性と関係を持った場合にも「売春婦と同じ」などと言えるでしょうか。この判決は、水商売で働く女性への偏見があるのではないかとの批判がなされてもやむを得ない気がします。
また、約7年間にもわたって性的関係を継続しているのに、これを単なる「営業」の一環と言い切れるのかも疑問があります。これは事実認定の問題ですが、本当に「枕営業」だったのかも疑問だといえそうです。
なお、この判決は、妻から夫に対して不貞行為を理由に損害賠償請求をした事案ではないため、妻の夫に対する損害賠償請求まで否定しているわけではありません。
「枕営業判決」を一般化するのは難しい
報道によれば、この判決に対して、当事者である原告は「これ以上、傷つきたくない」として控訴をしなかったため、東京地裁の判決は確定しています。
これを受けて、類似の事案において、従前、実務上ほとんど見られることのなかった「『枕営業』だから不法行為に該当しない」との主張がなされるようになりました。
しかしながら、上記のとおり、この判決はかなり特異な判断であるといえ、法律家の間でも支持する声は多くはないようです。事実、「枕営業判決」の後に、異なる判断をしている裁判例もあります。
例えば、東京地裁の平成30年1月31日判決は、以下のように判断しています。
「実際に、被告が甲(原告の夫)に対して好意を抱いていたかどうかはともかく、ホステスとして指名をとるためであったという動機と、客と肉体関係に及ぶという行為とは、特段の排斥関係に立つものではない。念のために検討すると、この行為が、仮に、いわゆる『枕営業』と称されるものであったとしても、被告が甲と不貞関係に及んだことを否定することができるものではないし、仮に、そのような動機から出た行為であったとしても、当該不貞行為が、甲の配偶者である原告に対する婚姻共同生活の平和の維持という権利又は法的保護に値する利益に対する侵害行為に該当する以上、不法行為が成立するというべきである」
このように、仮に「枕営業」であったとしても、不貞行為であることに変わりはないし、それが婚姻共同生活の平和を侵害する行為である以上は、不法行為に該当するというのです。
実務上は、このような考え方が一般的であるといえるのではないでしょうか。いわゆる「枕営業」判決を一般化するのは相当難しいということになると思います。
「枕営業判決」の真意は?
日本の裁判実務においては、昭和54年3月30日の最高裁判決が、「夫婦の一方の配偶者と肉体関係を持った第三者は、故意又は過失がある限り、右配偶者を誘惑するなどして肉体関係を持つに至らせたかどうか、両名の関係が自然の愛情によって生じたかどうかにかかわらず、他方の配偶者の夫又は妻としての権利を侵害し、その行為は違法性を帯び、右他方の配偶者の被った精神上の苦痛を慰謝すべき義務があるというべきである」として以来、一貫して不貞相手もこれによる慰謝料債務を負うとの立場に立っています。
ところが、諸外国では不貞の相手方が他方配偶者に対する損害賠償義務を負うと解されているのはむしろ珍しく、日本においても、不貞相手の損害賠償義務を認めない学説が有力に主張されています。不貞行為による責任は、もっぱら他方配偶者に対する貞操義務を負っている不貞を行った配偶者が負うべきであり、それを不貞相手に対して請求するのは筋違いであるという考え方です。
上記の「枕営業」判決は、この立場に立っているわけではありません。むしろ、不貞行為の相手方は一般的には慰謝料の支払義務を負うことを前提にして、クラブのママやホステスによる「枕営業」の場合にはこれを負わないと解しているのであり、不貞行為の相手方に損害賠償義務を認める従来の実務を前提にしているわけです。
しかしながら、ひょっとしたら、この枕営業判決には「不貞は夫婦の問題だろう。第三者、ましてクラブのママなどを揉め事に巻き込むな」といった裁判官の真意が隠されているのではないか。最高裁判決を真っ向から否定するわけにはいかないため、「枕営業は不法行為にならない」という新たな判断をしたのではないか、などと深読みしてしまいます。もちろん、これは私の想像に過ぎません。
以上のとおり、平成26年に東京地裁で出された「枕営業」は不貞行為にならないという判決は、現段階において実務上、一般的な考え方にはなっていません。裁判でこのような主張がなされても、認められる可能性は非常に低いでしょう。
ですから、類似の事案において、不貞の被害者となったとしても、いわゆる「枕営業」判決を過大視する必要はありません。私たち弁護士に相談して、専門家の見立てを聞いてみてください。
弁護士 上 将倫