浮気後の夫婦修復について
「“幸福”と“快楽”は違う」
今日のタイトルは 「“幸福”と“快楽”は違う」by 有村昆さんから引用させて頂きました。
この言葉は 単に論者が言うより、不倫をした経験者の有村昆さんの言葉だから重いと感じます。
私も常日頃、夫の浮気に悩む妻の相談に乗りながら、私の頭の中を半分ずつに分け、片方の頭では相談者の言葉を聞き、もう半分では、その事の意味や根本的な事を考えています。
妻が考える幸せとは、夫が浮気を止め、家庭や妻の下に戻ってくれる事が幸せだと言います。
しかし、夫が考える幸せとは、浮気相手との刺激的な暮しに、喜びを覚え、それが出来る生活を幸せと思っているなら、家庭にはそれがないという事になります。
何故なら、刺激的が非日常とするならば、家庭は日常なのです。
だから、家庭や家族の下に帰った途端、夫の求める幸せとは違うという事です。
・・・・・と、ここまでを話しすると、気の早い相談者は「じゃ、家庭には幸福がないというのですか?」と
尖がりたくなるとは思います。
でもね、幸せって1種類じゃないないのです。
快楽は家庭にはないかもしれませんが、それをカバーできる代替のものは他に多くあります。
もっと言えば快楽以上の幸せだってあるのです。
それを、夫の浮気問題に悩んでいるとは言え、尖がってしまうという妻の対応にも夫婦の関係性が出てしまうのです。
もしかしたら、その妻の尖がりやすい性格に夫は逃げている弱虫という場合もあります。
だから、浮気に対して、正か誤という考え方ではなく、夫が何を求めているか、という事を考えないといけません。
これは 責任所在の話ではないので、この私の「夫が何を求めているか」という言葉にさえ、尖がってしまう妻がいたら、それこそが尖がり過ぎ。
まあ、まあ、まあ、少し落ち着いて下さい。
別に貴女の夫は、浮気だけが好きだと言う訳ではありません。
沢山好きなものがあると思います。
お子様と遊ぶ事も喜びだと思います。映画を見る事も、本を読む事も、落ち着いた家庭があってこそです。
だから、考えないといけないのは、夫の喜びが全て家の外にあるという場合です。
でも、そんな風に言うと、「夫の趣味はアウトドアです」と答える妻もいます。
しかし、本当の答えは、趣味が家の外に在ろうが、なかろうが、何に幸福を感じるかは自由ですから
家の中か外かの話ではないのです。
人によっては、ソロキャンプが好きな夫もいるでしょう。
しかし、その夫は、家庭に居場所がないからではないのです。
保育園などの園児でも、独りでお砂場遊びをしている子がいます。この子は決して孤独なのではなく、一人遊びが出来るある意味、独立独歩の子なのです。
そうして一人遊びが悪い事ではないと知って下さい。
夫婦でいても、必ずしも夫婦という単位で行動しない夫は、別に家族をないがしろにしているのではなく、夫が一人遊びが好きだという事なのです。
(ま、これが夫婦の絆を揺るがす不倫や、エッチ系の遊びは困りますけど)
ただ、これまでに、相談者から聞いている事で、「夫の一人遊びは許しています」と言われる方がいます。
しかし、ここで、チェックしてほしいのは「許している」という事です。
本当に大切な事は、その夫の好きな事を、妻が許しているという視点しかないというならそれは問題です。
これでは、「マウント」を取っている「マウンテン妻」になってしまい、夫の趣味を理解しているという事にはならないのです。
夫の趣味を許すって、どれだけ上から目線なのでしょう。
私はここを分かって欲しいと思います。
夫が好きな物がソロキャンプである限り、それには妻が同行出来ません。
しかし、これは夫が一人でやっているから、勝手にどうぞ、ではなく、せめてソロキャンプの良さを
聞き出してあげて欲しいのです。ソロキャンプと言っても、孤独とは違うのです。
群れるのを嫌っているだけで、ソロキャンプの良さは、皆で共有したいという人もいますので、
ご主人が帰ってきたら「楽しかった?」くらいは聞いてあげて欲しいのです。
そしたら、目を輝かせて子供みたいに、話してくれると思います。
つまり、夫の幸福とはキャンプに行くだけではないのです。
ただこれが浮気という路線の話になると、夫の幸せは夫の快楽という話になっていきます。
そうしたら、家庭の妻は、日常というカテゴリーだから、夫は刺激は感じないという構図になったとしても、夫の幸福は何も快楽だけではないので、家庭や家族には別の幸せもあるという事に気付いてほしいのです。
と、いう事で、夫の幸せをたった一つという決めつけはしないで欲しい。
それが判ると、夫を別の意味での幸福は何だろうと分かる事が出来ます。
何も、妻に夫の浮気を許せとか、夫の浮気に蓋をしろと言っている訳ではありません。
むしろ、浮気問題は 異質のものですから、それはそれとして切り離して、排除しないといけませんが
それ以外の夫の喜びは、家庭の中では何かな?というくらいの想像はしてみて欲しいのです。
それが意識の共有であり、それを共有できると、共感性が生まれます。
これまで夫の浮気に悩む妻に向けて、夫の浮気の原因の多くの理由が性的欲求が大きいと書いてきました。
それゆえ、妻は心を取り戻したいと嘆くお客様には、男性という生き物は性的欲求が遮断された相手には愛情はもてないという特徴がありますので、まずはここが、夫婦の間で妻が拒絶してないかどうかが分かれ目になります。
ここは浮気によって、一時的に遮断されていても、拒絶が無い事が大事です。
何故なら、男性にとって性的欲求は(ある意味)満たされないから、よそ見をするという事が大前提です。
そういう意味では夫婦が元に戻るには、この点が満たされない夫婦の下に、夫が前のめりで帰ろうという希望は持ちにくいという事です。
夫婦の修復を考えると、心の寄り添いは一番最後になる事もあります。
つまり修復の入り口は、スキンシップというような「触れあい」が始まりです。
よく、仲が悪い夫婦で、妻が口にする言葉で、「生理的に嫌」と夫が近づく事でも鳥肌が立つという事を言います。
せめてこの感覚が無くなる事が大事ですので、スキンシップが、本当の意味で夫を受けいれているかどうかのバロメーターとなります。
夫が妻に対しての気持ちを戻すかどうかよりかは、むしろ、妻がそれを受け入れる気持ちがあるかどうかです。
よく夫婦が修復する為のノウハウを問われますが、それが実行できる心準備が妻にあるか無いか大切な下地になります。
と、いう事で、確かに夫が幸せと感じる物は、快楽が多くそれに幸福を感じるのですが、少なくとも、夫が求める妻とのスキンシップなどが、家庭や夫婦の間で、完全遮断されていない事が大切です。
今日のテーマは“幸福”と“快楽”は違う・・・です。
これを決して、単純に考えないでください。
長年、年を重ねた夫婦には セクシャルな快楽はないと、失望しないで欲しいのです。
別に夫側だって、いつまでも若くはないので、妻にいつまでもセクシャルな関係だけを求めているという事ではないのです。
変な話、夫だって幸せになりたいのです。
しかし、夫婦が長年の間で、鈍感になって来た部分で、あまりにも理解がし合えない関係が続くとまるで、それの穴埋めのように、又は、妻への当てつけの様に、家庭の外でセクシャルな遊びをします。
セクシャルな事は、結果でしかありません。
そのセクシャルな表面的な事に、頭に来てしまうという妻であれば、あまりにも短絡的です。
その根底に流れる物を少し勉強してみようという「深さ」を持って欲しいのです。
この向学心から、自分たち夫婦の立て直しには、何が一番の特効薬になるかが分かります。
夫婦修復のノウハウや、ハウツーだけを説いている、夫婦修復術という本も沢山あります。
でも、本当は そういう事を実行する妻や夫のタイプが、ものを言うのです。
要するに、ノウハウやツールのような方法論ではなく最後は人間だという事です。
ここに気付く事が出来たら、それは修復の入り口に立てたも同然です。
ここに焦点を当てて考えていきましょう。
では、今日はここまで。