勝ろう(まさろう)としていませんか?VoL.2
夫婦が心から信頼し合えることは大事な事で理想でもあります。
しかし、長年色んな事が起きると、夫婦の信頼感は薄れます
特に、夫が不倫なんてしてしまった時には、信頼感どころが、軽蔑をしてしまいます。
よく言われる言葉ですが、妻が夫の不倫を疑った場合は、不倫実行率は75%で、その予感は当たっている。
しかし、終わってしまった不倫の場合は、妻がいつまでも夫が不倫をしていた時の事が忘れられずにフラッシュバックして
猜疑心にさいなまれます。
だから、後の25%はほぼ、妻の思い過ごしや、トラウマに過ぎません
反面、妻が不倫をした場合、夫がそれに気づいた時の妻の不倫実行率は100%と言われています。
そのくらい、男性はこういう勘は鈍いとも言えますが、ある意味妻を信じているとも言えます。
そこで、今日のお話は、相手を信じるという事についてお話します。
夫が不倫をしてしまった場合、それを最初からピーンと来る妻は 余程夫に関心があるか、愛が深いか、或いは勘が鋭いか、です。
ただ、おおかたの妻は、何か普段と違う異変を夫に感じて、それを夫に問いただしたり、確認をします。
しかし、残念ながら、もし夫が本当に不倫を実行していたら、妻に問いただされたからやめようとはならないのです。
と、いう事は何とかして妻の質問をかわさないといけません。
その場合、よく使う言葉に「そんなに俺の事を信じられないのか?」・・・です。
ここの答えは、「はい、信じられません」でいいのです。
しかし、夫を信じられない妻は「悪だ」という前提が貴女にも夫にもあるとしたら、不倫をしている人が悪いのではなく
不倫を疑う人が悪いという理論のすり替えです。
そして貴女は夫の前では善き妻でありたいものだから、夫を信じないという悪人にされてしまうのです。
いいですか?
ここでは信じるか信じないかの問題ではないという事を分かって下さい。
世の中には「分からない事」というのはいっぱいあります。
UFOだって、たいていの人は分からないのです。
本当に見て確認をした人ならいいのですが、見た事のない人には信じられないのです。
だから、研究をするのです。
見た人のUFO話を信じられなくても、それは悪くないのです。
でも研究や確認をして、自分が納得出来たら UFOを信じたらいいのです。
また逆に、研究しても、確認出来なかったら、UFO存在説を信じなかったらいいのです。
これはUFOを見た人を否定しているのではありません。あくまでも「私が確認できない」という事です。
と、いう事は夫への詰問は、貴女の研究心だという事です。
その研究は、貴女が その説を信じる為にしているから、研究の成果が得られなかったという事で、UFOの存在をどうしても信じたい人はずーっと研究を続ければいいのです。
でも、夫は浮気を疑われたという事、つまり研究とか確認をされたという事を、信じる、信じないという理論に話をすり替えているのです。
ここをようく理解してください。
浮気の話と、UFOの話がごっちゃになって、分かりにくいかと思いますが付いてきてくださいね。
いいですか、人と人との関係性においては、信じるという事は信頼感と密接に関係するので、ましてや夫婦の場合は信じあえる事は理想的なのです。
しかし、貴女はこれまで、何もかも信じてこなかったのではなく、夫の異変を感じ、今、少し確認をしたいと思っただけなのです。
それを、「俺が信じられないのか?」と立腹する話でもないのです。
何故なら質問しただけですから。
でも、貴女が本当に恐れたのは 夫が怒ったという事なのです。
質問する事すら許されないくらい怒ったという事です。
だから、この事が怖くて、夫の怒りを鎮めようと、夫に好かれるようにと、夫を信じる事に転じるのです。
どんな疑わしい事が、生活の中に起きても、貴女はひたすら夫を信じるように、あらゆる疑わしい事を封印するのです。
それが性善説です。
では、これまで、普通に暮らしてきて夫を信じ、信頼もしてきた時期は 性善説では無かったのでしょうか?
いえいえ、これまでも貴女は夫は不倫なんてするはずがないと信じてきた結果、それでも何かしらの違和感を感じ
「あれ?」という事で、夫に確認したに過ぎないのです。
だから、これまでも、ずーっと性善説で来ていたのに、それを覆したのは 実は夫なのです。
そこで、貴女は一層、性善説に立たなければ、家庭が回らなくなったという事です。
いいですか、性善説って、平和の象徴です。
何も無かった頃、何も疑わなかった頃・・・・これは性善説でいいのです。
でも、一つ、何か異変を感じ、もしかしてほったらかしていたら、大変な事になると感じたら、それを危機感と呼びます。
もし、貴女が一度でも、地震で被災したら、今度、もし大きな地震が来た時の為に、防災グッズを用意しませんか?
それが危機感なのです。
遭ったら困る災害の被害を少しでも抑える為に、地震に備え、危機感を持って準備をするという事です。
これが性悪説です。
万一にしろ、悪い事は起こるかもしれない、と言う風に、未来を単に平和な想像で終わらせない事。
つまり、平和を信じないという事が性悪説です。
要は性悪説というのは危機感だという事です。
だから、一度でも経験した震災被害には危機感を持って生活をするのです。
この危機感を怒る人っていますか?
平和だけを願って、万一の心配をする事を許されないって、それが良い事ですか?
闇雲に信じる事・・・それが性善説です(夫婦間においては、ですが)
一度でも、何か不安な経験をした場合は、夫に確認したらいいのです。
その確認すらが「信じないのか?」と怒る必要なんてどこにもありません。
もし、怒る必要があるとしたら、それは「疑われる事で都合が悪くなる場合」だけです。
ね、だから、信じる、信じないと、議題にするのは、話のすり替えだと分かって下さい。
では、今日はここまで。
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コラムで書かれた内容をおさらいし、もう少し真髄に触れて深いお話をしています。
発表はまたお知らせします。乞うご期待!