悲しいお知らせ?
今日のテーマは、結婚が、結婚をする為の手段になっていなかったか?・・・について書いて行きます。
よくよく、思い返せば、パートナーの方を見ずに結婚をしたと言う方がいます。
それは、失恋直後に自分に優しくしてくれた男性と結婚したりした方は、もちろん、その優しさに安らぎを感じたという事もあるでしょうけれど、中には、自分をフッた?男性への面当てであったり、意地であったりと純粋に今の夫を愛した結果の結婚ではなく、妻が自身のプライドを守るための結婚だったりする人がいます。つまり結婚という名のステップになってしまっているケースがあります。
普通は、恋愛をして、それが、成就し、結婚というゴールに行き着きます。
例え、それが、同棲というワンクッションを挟んでも、やはり、同棲は、結婚への予行練習です。
恋人同士がこの段階を踏むと、自分達の結婚への共通目的が定まり、覚悟が備わるのですが、中には、授かり婚と言って覚悟のない段階で、ベビーを先に授かることがあります。
もちろん、特に結婚の時期を決めずに付き合っている場合は、この妊娠が結婚へのきっかけになり、背中を押してくれることになりますので、これもめでたい事です。
ただ、それほど、結婚を意識していない付き合いの場合は「ただ何となく別れる理由がないから、付き合っている」と、いう場合、喧嘩の反動や年齢的にタイムリミットになり、そろそろ、という、流れ的な事で、結婚に至る場合は、結婚してから、「あれ?私、この人の事、本当は愛しているのかな?」と、いう気持ちに気づくことがあり、心のどこかで、疑問符を抱えながら生活をしていく事になります。そこで夫婦喧嘩をしたりすると、「この結婚でよかったのか?」と頭をよぎりますが、夫への本当の愛がなかったかもしれないのに夫が浮気をしたりすると、「失う怖さ」という矛盾に悩まされます。
こういう方は何をしていても、いつも、心、ここに非ずなのです。
結婚をしたら、例え結婚の動機が不純であっても、それなりの時間が経った分、思い出や歴史が蓄積されています。まして子供が出来たら、それはそれで、家族の形を作ったという責任が生じます。時間をかけて、無意識かもしれませんが、夫とはそれなりの繋がりが生まれているのです。
それなのに、いつも心のどこかで、本物じゃない事に、心が落ち着きません。
私は、本物で在ろうが、なかろうが、時間を掛けて、出来上がったものは、それなりに本物だと思うのです。
それなのに、いつまで経っても、「物の真価」を問うと言う事は、何かにつけて、覚悟が出来ない人なのです。
例え、動悸が不純な結婚でも長年一緒に暮らしたという歴史は、家族を形成します。夫との結婚は、愛し愛され、大恋愛じゃなかったかもしれませんが、愛には色んなボルテージが有ります。激しく愛し合った結婚でも離婚をする夫婦がいるように、始まりが熱烈でなくても、時間を掛けてゆっくり、家族になったという実績も結婚の結果です。
本物じゃないから満たされないと感じるのは、覚悟が足りません。どんな形であれ、自分が選んだ結果です。
だから逆を言えば、夫を見損なう事があったとして、妻が「自分の人を見る目がなかった」なんて、悔いる必要はありませんが、その時、折々で、自分で覚悟を持って、物事を選択してこなかった人は、常に自分の選択が間違っていたと後悔します。
でもね、結果がどうあれ、その時の自分は、その道を選んでいたのです。
それが、例え、結果が良くなくても、過去に遡って、後悔する必要はありません。
結婚の為の結婚で、あったかもしれませんが、今ある生活が全てなのです。
今の夫と結婚したのは、必然だったのです。そして、その時には、その夫と結婚をするという事が、その人にとってはベストなだったのです。
そうして、自分の選んだ事に責任を持てば、いつまでも、選んだ道で迷っている時間が無駄だと分かります。
子供が出来て、子供が夫になついているなら、それはそれで、家族として大事な事ですから、いつまでも手に入らなかった物を、追いかけないで、足元の暮らしを見つめるようにしましょう。
では、ここからは日本昔話風に・・・・
むか~し、昔、その昔。山奥に、お父とお母と、4人兄弟が住んでたそうな。
その隣の村に、年ごろの娘がいて、その娘のお腹が、日に日に大きくなるのをみて、誰か父親になってやらんか?と村の翁が、4人兄弟の所に話を持ってきた。
長男は、「暫く、俺は長男として田畑を守っていくので忙しい・・・次男はどうだ?」やんわり断って次男に話が下りてきた。
次男は次男で、「近々、野菜売りの商いを町で始めるから、それどころじゃ・・・」と三男に振ります。三男は三男で、「好きな娘がいて、近々所帯を持つんだ」とか何とか言って、とうとう、話は四男に・・・・
気のいい四男は「断る理由もないし・・・じゃ、俺が嫁にもらってやるか」と腹の大きくなった娘と祝言を挙げました。
めでたし、めでたし。
こんなのどかな時代もありました。
今の時代にこんなことは、考えられないかもしれませんが、結婚なんて、とてもアバウトと言う事もアリ、人々が、それほど、結婚の動機に拘ってなかった時代もあったのです。
お見合いもなく、許婚(いいなづけ)の相手と結婚したのは、お輿入れの日だったなんて事もありました。この時代が良いとは言いませんが、あまり結婚に理屈っぽくなかった、大らかな日本が在りました。
たかが結婚、されど結婚。
こんな風な、考え方も、おもしろいと知る、心の余裕があれば、素敵だな。
今日はここまで。
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