悲しいお知らせ?
その昔、歌手の森進一さんと、(故)大原麗子さんが結婚をしていました。
そして離婚する時に 言った言葉
「家に男二人は必要ない」です。
つまり、船に例えると船頭さんが二人居ては上手く行かないという例えです。
これは別に大黒柱とかの経済的な意味ではなく、どちらも譲れなかったという意味だと思います。
ウェディングドレスの白色は「どんな色にも染まります」という意味で 男性は「俺好み」に染めると豪語してはばからなかったのですが、今ではそんなことを言えば、ひっぱたかれるでしょう。
私の話は昔話が多いのですが、いくら時代が進んでも、男女の事は古今東西、あまり大きく変わらないのです。
ただ、過去日本には女性の地位が低く、男尊女卑の時代が長くあり、そこに警鐘を鳴らして行った結果、ようやく女性の権利が確立されていきました。しかし、男性の脳はそれに着いて行けてないのです。未だに女性を男性のおもちゃのようにセクハラなどの事件が後を絶たないのは、そういう事です。
それは脳が着いていけないというより、本能が邪魔をすると考える方が正解かは分かりませんが、今では世間では聖職と考える学校の先生や、警察官、弁護士などが、盗撮やセクハラ以上の事件を起こします。
特に最近ではお寺のお坊さんまで要らんことをする時代だから、煩悩には勝てないのです。
つまりお坊さんも倫理観とかよりも、本脳に負けてしまったと言えるでしょう。
これを本能寺の変と呼びます。(よっ!座布団一枚♪)
これを少し家庭の中や夫婦関係の事に落とし込んで考えてみました。
最近は男女同権で育った人たちが、結婚をし、家庭を営んでいます。
年の近い結婚が当たり前となり、家事や育児も性差なく家族として担っています。
これは、役割分担として家庭を運営していく上で、当然なのかもしれませんが、男性脳はあまり変化はしてない人もいると
いうことを妻は理解しておかないといけません。
夫が浮気をしたりして、その理由に妻にかまってもらなかったというのは とんだ甘えたさんですが、子供が出来ても
妻が子供に心を注ぐのは喜べない夫がいることは事実で、自分の夫がどういうタイプか、見極めないといけません。
ちまたの本には家事も育児も協力しあって・・・と言うことを書いてあり、理想ではありますが 自分の夫がどういうタイプかを見極めないといけないのです。
もちろん、この「俺様的」な男性脳を良しとせよという話ではありません。
本当ならこんな古典的な男性は時代に置いてかれる話なのですが、残念ながら そういう夫を持っている妻がいると言うことが事実なのです。
そこで 相談に来られる妻が何を望んでいるかと言うと、「夫の考えを変えたい」ということですが、やはり性格などは自分が変わろうと思わない限り、遠隔操作で 私が人の夫を変えることなどは出来ないのです。
でも、メンタルクリニックなどでは、妻の言動が夫を変えるというような取り組みを勧めますので、まず妻が変わる事を勧めます。
これは私も同じで、妻が方向転換しなければ中々、問題は改善していきません。
そこで私も問題の捉え方や、行動傾向を変える事を提案しますが、妻は自分が変わる事には限界を感じているので、どちらかというと夫に変わって欲しいと望んでいます。結局変わりたいのは自分ではなく、夫を変えたいというのが主な希望なのです。
ここで、もうお気づきでしょうけれど、言い換えれば自分は変われないが相手に変わって欲しいというのも、中々の我がままぶりは
夫の「俺様ぶり」に匹敵します。
自分の理想論は理想で構わないのですが、それを夫に何度か唱えても通じなかったら、別の手を考えないといけないということです。
でも、妻の希望は曲げられないとなると、そこは決裂しか生まれないのです。
と、言うことで自分が変われないのに、相手に変わることを願うという強情の張り合いになっていないか?
自分の夫は、そういう夫婦互いの譲歩を出来るタイプか、どうか?
それは 私のところに相談する以前に、その見極めが必要だと思うのです。
別に夫色に染まれとは言いません。
しかし夫が俺色に染まって欲しいという一歩も譲らないタイプだとしたら、カウンセリングという問題ではなく、何かを諦めて行かなくてはいけません。
でも諦めると言うふうに書くと、それならカウンセラーは必要ない話になりますが、そういう問題ではなく、何故妻や夫が譲ったり諦めたりが出来ないか、その理由が分析出来ないと、人に言われたからって、簡単に諦められるはずがない。
要は、「変わらない何か」について 何故なのかを分析して、心が開かれると行動は着いてくるものです。
そういう風に、意味もわからず、お互いが相手が譲ることを期待しているもの。
ココロの中に横たわり、変わりたくないと踏ん張っている自分の気持ちの固い部分は何か?
それを学ぶ事も大切です。
夫は自分の色に合わせて欲しいと思って居るタイプであれば、妻から指図はされたくないはずです。
妻の言うことを聞くことは妻になびく事になると、無意識に突っ張っている夫もいます。
そんな夫に対して、要望を曲げない妻は夫からすれば、「命令」に聞こえてしまっているのです。
時々、夫とは何でも相談しながら進めてきて、夫の言うことを聞いてきた、という妻がいます。
でも、よくよく聞いてみると、夫に相談するという段階で、もう妻がすべて決めてしまっていて、それを話す時には
もう決定した形で、夫に告げる為、夫にすれば、「じゃ、そうすれば」というしかなくなっているという夫婦がいます。
これも表面的には、夫婦が話し合って、と言うことになっていますが、実はこれは単に争いを避けたと言うことにほかなりません。
例えば子供の教育問題にしても妻は、最初から夫に相談しても無理だと感じている場合は、すべての調べをして、方向性を決め
その決定したことを夫に報告するという形になります。
これは夫にすれば、自分をスルーしていると憤慨するでしょうし、妻にすれば夫が日頃から家族の事への関わりの少なさに不満を持っています。
そういうことで 妻がすべて事後承諾で、自己完結で押し進めているという風に夫は捉えますし、妻は、夫に相談しても無駄という失望感がにじみ出ています。
ただ、争いにならないということだけです。
こういう事で大事な事は夫のタイプの捉え方です。
争いがなくても、苦々しく思っていることだってあります。
そして本当に知らないといけないのは妻という自分というタイプです。
みんな案外を自分のタイプをしりません。。
諍いがないから夫と気が合っているかとは限りません。
合わせているようで、合わさせているかもしれません。
何も文句を言ったことがないと思っていても、目から鼻から、顔には怒りが現れているかもしれません。
従っているつもりでも、無意識に従わせている事もあります。
つまり、どうせ貴方は子供の事や家庭のことは考えてないんだからという怒りを持った感じで夫に向き合えば
夫は「どうぞご自由に」なります。
そういう意味で 一見、何も問題がなくても自分たち夫婦はどういう組み合せなのかを、本当の自分たちを検証してみる事も必要です。
今日のタイトル、家庭に男が二人という意味は、ドライバーが二人いては、行き先を間違います、と言うことが言いたかったのです。
では今日はここまで。