浮気相手の排除についての考え方
愛する夫を信じられないほど辛いことはない。
夫に「信じろ」と言われる以前に妻の方こそ本当は信じたいのだ。
でも信じられない事がぼろぼろ出てきて、夫と衝突した結果、「俺のことを信じてくれ」といわれてしまう。言われなくても、信じたいのは誰よりも妻の方のはず。
と、言うか 言われなくても夫だけを信じて暮らしていた時は幸せだった・・・・・
でも、いつしか変な不安感で気持ちがザワザワしだして・・・・
罪悪感で押しつぶされそうになりながら、夫のカバンの中を見たときに、思いもよらない女性からの手紙の山が・・・・・
明らかに夫は浮気をしてる・・・・考えたこともなかった・・・・
いえ、正確に言うと思いもよらないというのはちょっと違うかも?
波のように、押し寄せては消える不安を、自分で打ち消してはまた、押し寄せる。
夫の無表情や、疲労困憊した姿を仕事のせいだと考え、健康管理の面で支えようと考えていたはずなのに、頭の隅っこの方で、嫌がおうでも浮かんでは消える浮気という不安。
この不安は夫の携帯を見た時点で「的中」
本当はこの日が訪れるのを予感していたのかもしれない。
まさか、あの優しい夫が浮気?
そんなはず、あるわけない・・・・
だったら、何?この言い知れぬ不安感は・・・・・
膝から崩れ落ちてしまったあの日・・・・
先日、そんな夢を見て目が覚めました。
もう30年近く前の事で、とっくに自分の中で風化してしまった感覚だったのに・・・
相談者とお話をしているせいか、時々、自分の記憶が蘇り、夢に出てくるんですよ。
よく、相談者の方に聞かれるのは、夫の浮気は許せる時が来ますか?と質問されるのですが、
その答えは必ず記憶は薄れていきます。時間が手助けしてくれます、と答えます。
時々こうして辛かった時の事が夢に出てきたりすることはありますが、時間というものは
色んな記憶を美化したり、色あせさせたりするものです。
でも許せるかどうかは、その浮気の終い仕事がきちんと出来れば、その記憶はドライに塗り替えられるのですが、終い仕事をしっかりやらずに、あやふやなままで終わらせるといつまで経っても、不安感に苛まれます。
そういう意味で、妻が夫を許せるか、許せないかということよりも浮気の終い仕事を、きちんとできてさえいれば、もう後は信じられるようになりますが、ここの浮気の終い仕事をご主人任せにして、曖昧にしておくといつまでも、猜疑心を引きずる事になるのです。
この終い仕事をきちんとしなかった妻ほど、猜疑心は続きます。
つまり、終い仕事イコール浮気の終了の確認。
この作業は一対の作業です。
どちらが欠けてもいけません。
だのに、ここの作業を夫任せにするのはおかしいと思いませんか。
では、この終い仕事を、何故ご主人に任せるのはダメなのでしょうか?
算数の足し算なら、答えから引き算をすると確かめ算ができます。
自分でできます。
でも、浮気の場合は、この時点では自分で間違っていないと夫は思っています。
妻の前では悪かったと言っても、妻に浮気が見つかった途端に反省なんてできないのが浮気です。
自分で間違っていないと思う人に、自分のチェックをさせるほど、愚かしいことはありません。
まして浮気を始めた超本人に、終わらせることを、全面的に任せるなんて、危険すぎます。
変な例えですが、空港で危険物のチェックを自己申告させるのと同じようなもの。
自分で始めた浮気を自分で終わらせる事が出来るほど、意思が強い人は、そもそも浮気もしません。
自分に甘く、欲望に負ける人こそ浮気をするのですから、そんな人に自己採点をさせるなんて、ナンセンスです。
では、ここで浮気の成り立ちを解いていきましょう。
そうすることにより、何故浮気は自分から幕を下ろせないかが理解していただけるでしょう。
浮気は最初から、浮気ではないのです。
最初はお互いに好意を持っていても、いきなり浮気には発展しません。
最初の内は、その当事者達は、お互いの意思を探りながら 最初は軽くデートしたり、お茶を飲んだり
たわいもないことの時期が必ずあります。
会社の同僚であれば、必ず仕事の話の延長線で近づきます。
友人の延長線であれば、お互いの家庭や家族の事の悩みを打ち明け合ったりします。
つまり、最初はお互いの好意は内に秘め、あくまでも二人が会うための口実を探します。
最初から「好きだから会いましょう」なんて断られたらどうしようという気持ちも働いて、会うのは
他の理由が必要です。
それは打ち合せであったり、相談であったりと最初から浮気をしようなんてことは入口ではありません。
そういう段階では、浮気にはブレーキが掛かっています。
しかし、そういう段階を経て、段々個人的な話もし出し、決して幸せいっぱいという事ではないとお互いにアピールし出します。
その時に、誰も邪魔をするものがいないと、どんどんエスカレートするのです。
私がいつも、浮気に関しては、「早期発見早期治療」と言っているのは この段階であれば、浮気は未然に防げますし、当事者だって、引き返せるのです。
夫の様子が変だ、と感じるのはたいてい、この時期です。
でも、この時期に友人に相談したりすると「しばらく様子を見たら」と時間稼ぎを提案されます。
これは、友人はこういう問題のプロではないので、何も言うことができない、云わば無策だということです、だからしばらく様子を見よという事なかれ主義の助言になるのですが 実はこの時期が一番
浮気が深海にハマるか、どうかの分かれ目です。
こうして、夫の浮気がどんどん、抜き差しならない状態に発展してから、妻が浮気に気づいて夫と喧嘩の毎日。
夫を問い詰めて白状させた結果、別れてくるという約束をさせた、ということになりますが、夫にとっても、時間を掛けて、やっと実らせた浮気を、妻にバレたからと言って、終わらせると言うことには
なりません。
もし、そこで浮気を終わらせると約束したとしたら、夫からすれば、それはパニクって、別れると言うことで、妻をなだめたと言うことに過ぎません。
ですので、もし妻には浮気を終わらせると言っても、それは「とりあえずそう言っておこう」という時間稼ぎに過ぎません。
でも、何故、妻は夫の浮気を終わらせるハンドルを預けたのでしょうか?
これは妻の、大いなる誤解に基づくものです。
浮気をしたことがなければ、尚更浮気の方程式を解ってしません。
「妻に浮気がバレた」イコール「浮気の終了」という誤解をしています。
これは妻の希望的観測でもあるのですが、妻にバレたら、悪かったと思うだろう⇒
悪かったと思うなら、反省するだろう⇒反省をすると言うことは、浮気を止めるだろう。
こういう思考回路ですので、夫に別れさせ作業を自己責任で任せると言うことになります。
この工程がすべて誤解で、間違いであると言えます。
なぜなら、そもそも理性を失ってこういう結果になっているのですから その夫を信頼して別れ作業を任せるなんて、無謀もイイところ。
それで夫を信じられる日がいつ来るか?という質問は、入口から間違っていると言えます。
夫を疑うなんて、誰もしたくないはず。
信じたいのは妻の方こそ。
携帯を見たり、お財布のレシートを見たり、カードの利用状況を見たり。
そんなこと誰もしたくはありません。
それでも、夫の事を信じたいと思うからこそ、その材料を探して打ちのめされるのです。
信じたいのに、信じられない。
では、何故信じられないのでしょう?
それは夫の言動が一致しないからです。
信じろというなら、信じさせて欲しいと思いませんか?
それなのに、相変わらず帰りは遅いし、休日出勤はするし、これまでにはなかった出張も増えたり。
目に見えない不安がいっぱいな中、「俺を信じろ」という言葉には、「はいはい」と言っておけばいいのです。いちいち喧嘩をする必要はありません。
そして信じられないなら、夫に浮気を止めて、別れ作業を任せなかったらいいのです。
信じられないと言いながら 夫を信じて、別れ作業を任せるから、話がややこしくなるのです。
夫の言動不一致も困ったものですが、結局妻も、信じたいと言いながら信じないとばかりに疑っているから、どっちもどっち。妻だって言動不一致なのです。
夫は何故、浮気をやめることができないの?という気持ちはわかりますがこれだけははっきり言えます。
妻にバレたぐらいで、浮気はやめません。
いえ、やめられません。
始まってしまった浮気は終わらせることはできないのです。
物事は始めることは簡単ですが、終わらせることは大変勇気がいるものです。
妻は知らないのですが、その浮気を実らせるために、種を蒔いて、水をやり、時にはおこずかいを超える高価なプレゼントをしたり、妻には残業と偽り、冷や冷やしながらやっと実らせた浮気です。
そもそも、妻と本当に仲が良くて、幸せいっぱいなら浮気まではしないでしょう。
何らか、妻とは合わない部分が生じて、心が離れていたかもしれません。
何なら、セックスレスで肉体的にも、疎遠になっていたら、夫婦としては、心身ともに、上手くいっていなかったという不満を貯めていたかもしれません。
その妻に対して、バレたからと言って、すぐに悪かったと思うでしょうか?
だから、妻にバレたから別れるという方程式は、勝手に妻が思い込んでいるに過ぎません。
妻も夫も、独身の頃、色んな出会いがあって、別れも経験したでしょう。
喧嘩別れもあったかもしれませんし、自然消滅のように、フェイドアウトした恋もあったでしょう。
でも、恐らく不倫の恋は中々、経験者は少ないのでは?
いや、もし本当に不倫をしたことがあるなら、その別れは簡単なものではなかった事を御存知だと思います。
そうです、不倫の終わりは普通の恋の終わりとはちょっと違うのです。
浮気はそんなに簡単に終わらせられないのです。
そもそも浮気は、妻と上手く行ってないというストーリーで浮気相手を口説いていますから妻にバレたからと言って、別れようなんて矛盾したことは言えないのです。
ですから、妻にバレて、翌日でも別れて来ると勇ましく夫が出かけたとしたら、それは単に「妻にバレたからこれからどうしよう」と相談に行ったに過ぎないと言うことが言えます。
何度も言いますが、妻にバレたから、浮気を終わらせるということは、それは妻の立場からの考えに過ぎません。
反対に浮気相手の女性の立場から見ると、それは、これまでの浮気が遊びだったと言うことになります。
妻からすれば、妻以外の人との事は遊びと思うかもしれませんが、浮気相手の女性からすれば、終わっている夫婦として聞いているはずですから、冷たい妻を恨んでいるといっても過言ではありません。
だから、夫の視線はどちらを向いているかと言えば、バレた段階では浮気相手の方を向いています。
ですので、浮気がバレた時には、相手と別れることより、「どうしよう・・・」ということだけです。
これは100%言い切れますが、その時点で相手と別れようなんて決められません。
これを矢継ぎ早に、別れて来てね、と言われるから、「それでこの場を抜けきれるなら」という助け舟にさえ感じていると言えます。
そして翌朝、「今日は遅くなる」という夫の言葉に「ああ、別れて来てくれるんだ」と信じて送り出しても、本当にそうするか、どうかは定かではありません。
もう少し、上手くばれないようにしようと、打ち合せに出かけるようなもので、実際に別れ話をしに行ったと、信じるのはまだ早い。
もう少し、その不倫を観察してみてください。
会社の同僚ならば、携帯電話を逆折れ(ガラケーの場合ですから、話が古い?)させても、電話帳から削除させても、仕事場で会えば、問題ありません。
妻にいつも携帯をチェックされたら、もう一台、携帯を持てばいいだけです。
いくらでも浮気を続けるアイテムはあるのです。
夫が浮気を終えたと言っているけれど、何かしら信じられないというなら、もう少し深く観察力を持たないといけません。
チェックが甘い割に、信じられないと嘆くのは、逆に何を根拠にしたら信じられるのか、もう少し根拠を持って観察して欲しいのです。夫の言動が一致しないなら、ここまで分析をしないといけません。
夫の言葉と、行動が一致しないなら、まだまだ信じる時期ではないのでしょう。
その上で、疑う余地がないと判断できた場合に、初めて信じればいいのです。
何も闇雲に信じられないのに、無理くり信じる必要はありません。
言葉ばかりに真実を求めると、嘘も信じたくなります。
嘘まで信じるなら、それは鰯の頭と同じ。
信じられなければ、黙って目を凝らして観察しておけば、いずれ見えてきますから。
今日はここまで。