浮気後の夫婦修復について
浮気中よりも終わった後の方が苦しい当方に相談に来られる方が問われる言葉で特に妻が質問される言葉に下記の言葉があります。
「本当に夫と妻とやり直せるでしょうか?」
これは、無責任な答えかもしれませんが 成功する方もいますが 不可能な場合もあります、という事です。
これはどういう事かというと 例えば受験を想像してください。
その本人がどういう努力をするかは 現時点では分からないと言う事です。
例えば夫婦の修復を望むと言いながら 言ってはいけない事ばかり言われたり、相変わらず夫婦喧嘩ばかりだと修復もあり得ません。
やはり修復を望む場合は それなりのルールがあると思うのです。
私のところに相談に来られたら、とりあえずお帰り頂くときには 約束事を何点か申し上げます。
それをまったく守って頂けない方もいるので そういう場合は修復は上手く行くはずがないのです。
とりあえず、言いたい事を言うだけでは、夫婦に限らず、どんな人間関係もうまく行くはずがありません。
悩みのるつぼで苦しくて、つい暴言を吐いてしまった、と言う方も多くいます。
しかし、それはいくら理由があったとしても その理由を夫が汲み取ってくれたらいいのですが
当事者間で、理解し合えなかったら 私に暴言をつい吐いてしまったと言ってもそれは 何故という事の答えでしかありません。
妻を救える理由にはならないのです。
私はいつも夫婦の問題を病気やけがに例えますが 例えば怪我を負って、最初の段階で正しい消毒や正しい治療をしていれば 治りも早いのですが、消毒もせず、放置したり、自己流の治療法をやった結果、
化膿してしまった場合、その傷口が綺麗になるのは 倍の手間がかかります。
それでも完治すればまだましですが、回復するかどうかも、疑問になる事も多いのです。
人間の病気や怪我に例えたら、人は理解できるのに、何故夫婦間の事になると理解しにくくなるのかという事です。
これは つらい思いをされている方には、とても酷な言い方ですが、やはり甘えだと思います。
数値に表せる健康状態や怪我などと違い、相手の気持ちは見えません。
またこちらの言葉も、形としては残りません。
だから、夫婦間の事は、形として残らないから、何でも許されると思ってしまうのです。
相手をどれだけ傷つけているかは、数値では分かりません。
夫側も自分の気持ちを、妻に形で示せません。
つまり言葉は吐いた途端に消えてなくなるから 許されると思ってしまいますが
昔から 「吐いた唾は飲めない」という言葉があります。
あまりきれいな例えではありませんが 要するにいったん口から出た物は 取り消せないという事です。
しかし 妻と、言うか女性の多くが つい毒を吐く事を許されると思ってしまうのです。
その根底にある気持ちは「自分の苦しんだ結果、つい吐く言葉なら、許される」と思ってしまう甘えなのです。
たった一度でも傷付く言葉はあります。
つい、吐いてしまった言葉でも取り消せない言葉はあります。
「そんなつもりじゃなかった」と言っても 受け取った相手にすれば 「腹にない事は言葉に出来ないだろう」と思います。
厳しい事を言いますが、目の前から消えてなくなる言葉でも人の心の中には残るのです。
でも それは妻からすれば本当は解っているのです。しかしついそれでも吐いてしまう言葉。
それの根底には 「私の苦しい胸の内を解って欲しい」という、すがりにも似た気持ちです。
私はこの甘えが何が何でも悪いと言っているのではないのです。
夫の浮気で傷付いた妻の方を一刀両断しているのではないのです。
しかし、物事には甘えていい時期と甘えが通用しない相手がいるという事を理解せずに、甘えるとそれが、自分で自分の首を絞める事になる事もあると知って欲しいのです。
夫が不倫をして、別れたと言っています。
しかし、その後も 夫を疑ってしまいます、どうしたらいいでしょう?
・・・・こんな風に夫を信じたいのに、つい夫の帰宅時間などにも猜疑心を持って妻は苦しみます。
そこから つい出てしまう言葉は夫にすれば「そんなに僕を信じられないのか?」という事に夫も反発するだけです。
夫も不倫が終わったからと言って、昨日まで浮気をしていて、サア今日から妻に罪滅ぼし・・・なんてそんな都合よく切り替えは出来ません。
でも妻はこれまでの苦しみを償ってほしくて優しい言葉も欲しいし、妻の疑いの言葉を否定し、妻を不安から救い出してほしいのです。
だから妻の酷い言葉は 夫に否定してもらいたいという、甘えの変形なのです。
不倫を終えたばかりの夫は そんな妻の心をフォローできる余裕はありません。
先にも書きましたが、どんな言葉も受け止められるほど、人間は強くないのです。
確かに苦しかった妻の気持ちは分かります。
その事を夫に解って貰いたいと言う気持ちはよく分かります。
しかし、夫も人の子ですから、どんなことでも償いの為に、受け止められるとは限りません。
「なんでもいいから言っていいよ」と言いながら それは口だけで、本当はそんなキャパシティはない場合が多いのです。
思いの丈を言った結果、余計にぎくしゃくしたという相談を持ちかけられますが、まだまだ夫婦は
思いの丈を言える関係には戻っていません。
修復する為に思いを全部ぶちまけたいと考える方がいますが、実はそれは逆に修復した後でもいい事なのです。
夫婦が本当に向き合い、二人で手に手を取ってやって行ける時になって、初めて「実はね」という気持ちを吐露してもいいとは思います。
でも、まだそういう段階ではない、修復の道、半ばにして何でもかんでも言ってよいという事です。
不倫が終わったと言いながら、帰りが遅いのなら、まだまだ観察すればいいのです。
信じられなかったら、無理クリ信じる必要はないのです。
本当に信じられる時が来れば その時には無理に信じなくても自然な形で信じられていますから。
帰りが遅いのであれば 何故遅いか観察すればいいのです。
何でも聞いたら、答えてくれると思うから聞きたくなるのです。
応えてくれないと、誠実ではないという事で腹を立てますが、不倫をする人が
そんなにすぐに誠実になれると思うはずがない。
これは不誠実と言う意味ではなく、人間はそんなに器用に変わり身は出来ないと言いたいのです。
つまり、何でも急ぎ過ぎという事が言えます。
帰宅が遅い事を聞かれると、夫も仕事をして帰って来ているのに、「いつまで疑うのだ?」と思います。
何でも聞いたらいいという事ではありません。
夫にすれば聞かれる事にも、いい気はしません。
でも、ここで妻の言葉に逆切れする夫は 2種類居ると思います。
本当に不貞が終わっているのに 疑われて腹を立ててる夫。
もう一つのタイプは 不貞を終わった事にし、隠ぺいしている夫。
もし、後者だとしたら そもそも妻が猜疑心を持って聞くという事に逆切れします。
妻は本当は疑ってないのに・・・・です。
妻は疑ってみるという事をしながら、本当は心の中では夫に浮気は否定してもらいたいという事です。
これで、せめてもの心の交流を図りたいというすがりのようなものです。
こうなると夫の本心も表に現れている事とは別ですし、妻の本音も違う事になります。
夫も本音ではない
妻も本音ではない。
でも心の中では 真実の心を求めていながら つい心にもない事を吐いてしまう・・・・・
こんな複雑な事ってありますか?
これでは夫婦の喧嘩も何の意味もないという事なのです。
真実を求めながら、裏腹な事を言う。
これでは 本当の夫婦の修復なんて望めません。
こういう心理合戦を乗り越えて、夫婦の修復を図らないと 希望は叶いません。
言いたい事を何でも言っていたら こんな複雑な人間心理は理解できません。
これら、すべて学びです。
こういうトレーニングが必要な人間関係の中で、言いたい事すらも抑えられない場合、
「修復って出来ますか?」と単純に聞かれても、「その人次第です」としか言えないのです。
言葉に真実を求めないでください。
妻本人だって、言葉と本音が違うのですから。
夫を信じるなと言う意味ではありません。
まだ信じられないなら、言葉を求めるのではなく、その夫の生活を見ていたら分かります。
信じられない物を無理に信じようとするから 約束してもらいたくなるのです。
約束を守る段階に夫が達しているかどうかの見極めも出来ないのに、夫に真実を誓って貰いたいと思う事が どだい無理だという事です。
言葉はどんなことでも言えますが 心は行動に表れます。
心を知りたければ行動を見ていたら、その内、分かります。
妻はヤイヤイ言わず、黙って夫を観察しましょう。
要らぬ失言で損をするより、いくらか賢明です。
では今日はここまで。