浮気後の夫婦修復について
【夫婦修復】
前回のコラムで浮気問題が起きている時より その後が苦しいと書きました。
例えば浮気問題を事件として捉えると その事件が起きている時は その事件が
終わる事を必死で願っていますし 現にどうしたらパートナーの浮気が終わるかという事に
努力をします。
その結果、何とか危険が収まったとして たいてい相談者は その後に事件の最中の心境を思い出し
トラウマになったり フラッシュバックになったりします。
そして一番よくあることが 信頼感を失ったという事に対して起きている猜疑心です。
夫を、妻を、信じられなくて何かと、疑ってしまうという事です。
もっと具体的に言うと、例えば携帯電話のメールなどで浮気を発見した場合は
もう事件は終わっていると思うのに 携帯メールをチェックすることを止められないというのです。
浮気事件の最中には そういうチェックも正当化させられますが 事件後はその行為は
パートナーを信じていない事になりますから 「もう事件は終わったのだから パートナーを信じてやり直そう」と決意したのに その決意とは裏腹にパートナーを疑う自分にも嫌悪感が生まれます。
事件最中は 裏切られている事の苦しさにもがき、事件後はトラウマに苦しむ。
こんなつらい事はありません。
ではどうすればいいかという事ですが、パートナーを無理クリ信じるという宣言をしない方が
良いと思うのです。
例えば、人にお金を貸して 返してくれず何度も返済を頼み、やっと返済してくれたとしましょう。
その人に対して、すぐに信頼関係は築けるでしょうか?
もし、その人がもう一度お金を貸してくれと言っても 「ちょっと待ってよ、まだ信頼できないよ」という事になりませんか?
私なら 恐らく二度とその人にお金を貸す事はしません。
でも、これが赤の他人の話だからです。
これが自分の夫で、お小遣いを決まりの金額を越えて 何度もひと月の間で おねだりされたら
どうでしょう?
そもそも夫の事が嫌いでなかったら つい甘くなってしまうと思うのです。
そういう意味で 「今回だけよ」と言いながら 私自身がその約束を破り 何度もお小遣いをあげてしまうというゆるい事になってしまいます。
どういう事かと言うと 頭の隅っこに、いつかまた浮気をされるかもしれないという恐怖心に
怯えてしまっているから とりあえず自分を信じこませようと「もう浮気はしないと誓ってくれた」というパートナーの言葉にすがってしまうのですが、実は本当に浮気をしないかどうか、それは結果的なもので 前科?ある人は そんなに簡単に信じてはいけないと言う事が言えるのです。
だから 信じると宣言しちゃったから その言葉に忠実になろうと誓いながら その反面自分の猜疑心と乖離している事に苦しみます。
要はここで何を言いたいかと言うと 「無理な誓いをしちゃったな」という事です。
先ほども書きました、前科という点からすると 例えば少年でも犯罪を犯すと、再犯を防止する為
「保護士」のような指導員が その少年の生活を厳しくチェックします。
この基本の考え方は「またするかもしれない」という疑いの目で見るという事です。
この信じると言う言葉を美しく捉えがちで 信じるとは 願う事では無く本当に信じられる時まで
信じないという事なのです。
では、せっかくやり直そうという夫や妻に「信じない」と言うのは またやる気を失せさせてしまいます。
だから 信じないという事をあえていう必要はないという事です。
正直に「まだ傷が癒えてないから 全面的に信じるとは言えないけれど あなたが努力してくれている事が見えたら 私も(僕も」信じられるようになると思うからお互いに努力しよう」
と、いう事でいいのだと思います。
信じるとはどういう事か?
それは「疑う余地がない」という状況が起きた時です。
まだ真っ暗闇で何も見えないなら 暗闇は信じてはいけないと思います。
こんな事をいうとがっかりされてしまうけれど、事件を起こした当の本人でも
この先、絶対に浮気をしないかどうか、自分を信じちゃいないと言う場合もあるのですから。
信じてあげることが 当人を励まし、立ち直る手助けになればいいのですが、それが逆に
自分を苦しめる事になるなら それは本末転倒ですから。
ではまた。