第二十話「身体が、答えだ。」

前話で立てた問い。自然とは、そもそもどのような状態を指すのでしょうか。
私の考える自然
自然を勘違いしてはいけません。都会にいながら月を読む人もいれば、森に暮らしながらマネタイズに悩む人もいます。
自然とは、場所ではなく、関係性の問題だ。
コンクリートに囲まれていても、月の満ち欠けという大きな循環に自分の内側のリズムを合わせていれば、それは自然です。木々に囲まれていても、経済という循環に呑まれ、自分の内側の循環と切断されていれば、それは不自然です。
不自然の側から、逆算してみます。不自然とは、外部の基準や意図によって、内部の応答が上書きされている状態。だとすれば、自然とは——外部からの力を受けながらも、内部の秩序が自律的に応答し続けている状態、と言えそうです。
アニメ「チ。」を見た方も多いのではないでしょうか。これは、天動説と地動説の話に似ています。天動説は、人間(地球)を中心に置き、そこに現象を合わせるため、複雑な帳尻合わせを延々と積み重ねました。地動説は、中心を手放した瞬間に、同じ現象がずっとシンプルに説明できてしまった。無理に削るのではなく、すでにそこにある筋道に沿わせること。これを、理にかなう、と呼ぶのだと思います。
自然の理に逆らわず、重力を受け入れ大地へ流し、反力をいただきそれを動きとして昇華している體は、自ずと美しい。不安がない、余計な工作がいらない、自分を信頼し、委ねきっている。
自然界に宿る美
咲き誇る花を、あえて醜いと罵る人間はいません。野生の動物に、二重顎も反り腰もありません。
花にも動物にも、比較も基準もないのです。ただ、その場所で、与えられた自然の力に応じているだけ。
私たちにも、同じ自然の力が確実に流れています。ホメオスタシスをはじめとする自律神経——自己と環境を調和させ、常にゼロへ戻ろうとする力です。
面白いのは、その花や動物には向けない「見苦しい」という視線を、人間だけが自分自身(あるいは他者)の體に向けてしまうことです。これはおそらく、人間だけが「思案」——黄金比、他者比較、メディアの基準——という、自然の力とは別の力にさらされているからだと思います。
次話では、この「自然の力」がどこに宿るのか、そこに触れていきます。
Masumi
パーソナルトレーナー| nice life studio(那覇・沖縄)
「美と間。」連載、次話へ続く。


