人生、さぼるのも大切なことだと知りました
自分を中心に物事を考えるのが、人の脳です。
地図の中心には自分が立っていますから。
知らない間によかれと思って言ってることが、価値観の押し付けになります。
お酒を飲める子どもをすごく母親は心配します。
自分がアルコールを飲めないという事実と旦那も飲まないという事実。
お酒を飲むと、お酒で人生をつぶすという信念を持っているみたいです。
だから、お酒を飲まない旦那を選んで私は良かったと思っている。
なのに、お酒を飲む子供・・・それはすごく心配の種になります。
子どものことを思ってお酒を飲む怖さを教えています。
20歳を過ぎた子供には、法的に飲んでも問題がない。
しかも、結構の量が飲めるとなるとお酒の怖さを教えたくなります。
ところが、酒は百薬の長と言われることもあります。
飲むこと=人生をダメにする・・・これは誰の価値観でしょう?
そして、お酒を飲むことで、一つのコミュニケーションツールと言う価値観を持っている人に対して、
そこを認めないで、教えてしまうのは価値観の押し付けになります。
自分の価値観を否定されるということは、自己否定につながるので怒りと言う感情の反応となります。
逆に言えば、教えている自分自身を否定されるので、余計に向きになり押し付けようとしてしまいます。
最初は、子どもの未来のためと思っていたのに、いつの間にか自分の価値観を押し通すことが主になります。
実際、会社へ行けば普通に存在します。
スポーツの世界でも普通に存在します。
名選手=名コーチではない
などと言う言葉が存在するのもそういう理由でしょう。
自分が出来るのから、出来て当たり前の価値観を持ってしまうことで
「どうしてできないの」
が、存在してしまい、脳は合理化のために「自己否定はしたくない」から
教え方が悪いのではなく、教えられる方の能力がないという結論になってしまいます。
ここで、NLPの基本理念が出てきます。
すべての人には能力が備わっている。
自分にも他人にもできるという能力があるのですから、そして、自分は変えられても人は変えられない。
だから、まずは教えるほうが調整をするということ。
成績を出すために苦労した人は、出来な時間を知っているということ。
出来ない人を理解できるということ。
出来る人は理解できないのではなく、理解しようとしていない。
そこにも価値観が存在して、それを少し変えてみるというのは自分でトライできます。
会社においても、新入社員への指導は、価値観の押し付けになっていないのか注意が必要です。
価値観を受け入れられるのは、そこに対立する価値観が存在しないから。
しかし、それでは実は人の成長は期待できません。
人が成長するためには、自分の価値観を自分で作るということ。
お酒の話に戻しますが・・・
飲むことがカッコ良いという価値観を持っている人にはどう接すればよいかということ。
カッコ良いの基準が違うと、そこを修正すればよいわけですよね。
アルコールを飲むカッコ良い姿の修正です。
カッコが良いというのを受け入れたうえであれば、修正に対する話し合いのテーブルにはついてもらえると思います。
まずは相手の価値観を承認するところから始めましょう。
『低めのボールに手を出すな』(アメブロ)
無意識は否定形を理解できません。