九九の覚え方(1)(九九ができない大学生を作ってしまう九九暗記の落とし穴)
次に脳のシステムの面から、短期記憶と九九暗記の関係について考えてみましょう。『記憶のしくみ 上』(ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル共著 講談社ブルーバックス 2013年)
234ページ以降を参考にしています。
短期記憶は即時記憶と作業記憶に分かれます。
即時記憶はたいへん容量の少ない記憶で、最大7つの事柄を保持することができるだけで、繰り返し復唱しなければ30秒未満で消失します。通常は数秒程度しか保持できませんが、能動的に繰り返し復唱すれば、記憶の時間を延ばすことができ、その内容を数分間にわたって保持することができます。この延長された即時記憶は、作業記憶(working memory)と呼ばれています。この作業記憶は繰り返し復唱しなければ消えていく不安定な記憶ですが、復唱を繰り返していくとやがて安定的な長期記憶へとつながります。この長期記憶は一生持続させることも可能です。
さて、作業記憶の単一の貯蔵庫というものはありません。この貯蔵庫は多数あり、これらが並行して働くと考えられています。主なものは「音韻ループ」「視空間スケッチパッド」ですが、脳科学事典(https://bsd.neuroinf.jp/)の「中央実行系」の項目によりますと「エピソディック・バッファ」が追加されます。そしてこれらが、「中央実行系」により様々なソースからの情報を統合・操作すると考えられているようです。(下図)
『もの忘れの脳科学 最新の認知心理学が解き明かす記憶のふしぎ』(苧阪満里子著 講談社ブルーバックス 2014年)より
『ワーキングメモリと発達障害』(T.P.アロウェイ著 北大路書房 2011年)によりますと、言語性ワーキングメモリ(音韻ループ)は前頭前野皮質の下部(腹外側領域)を使い、それと同時に左脳の、特に言語の中核をなす、ブローカー野が活性化するそうです。
また視空間性ワーキングメモリ(視空間スケッチパッド)は前頭前野皮質の上部(背外側領域)を使い、右脳ならびに海馬が活性化するそうです。つまり「視空間スケッチパッド」と「音韻ループ」は脳の別の部分を使い、別の機能を果たしていることになります。これらを参考にしますと、「音韻ループ」だけを使って暗記する従来の九九暗記は脳の能力を一部だけしか使っていないことになります。
例えば、私は朝家を出る前に1日の予定を紙に書いて出かけることがあります。銀行→ホームセンター→ドラッグストア→書店→教室と書くのですが、書いただけでは忘れるので、メモを見ながら移動することになります。ある時NHKテレビの「ためしてガッテン」という番組で「メモを書く時、メモ内容を視覚化してイメージを思い浮かべながら書くと忘れなくなります。」とやっていたので、真似することにしました。家から銀行へ行くルート→銀行の支店の風景→ホームセンターへ行くルート→ホームセンターの風景→ドラッグストアへ行くルート→ドラッグストアの風景→書店へ行くルート→書店の風景をイメージしながらメモを書くのです。そうすると確かにメモを見ずとも正確に移動できるようになりました。後から考えてみると要するに以前のようにメモを書くだけでは「音韻ループ」だけしか使っていないのです。「メモを書く時、メモ内容を視覚化してイメージを思い浮かべながら書く。」というのは「視空間スケッチパッド」もあわせて使っていることになります。そのせいで効果的な記憶ができるようになったのです。私の記憶をもとに『NHKためしてガッテン科学のワザで脳から若返る。 記憶力&集中力アップ!簡単脳トレ術』(主婦と生活社、2014年)さらにこの本から『もの忘れの脳科学 最新の認知心理学が解き明かす記憶のふしぎ』(苧阪満里子著 講談社ブルーバックス 2014年)にたどりつき内容を確認しますと、161ページにこう書かれています。「・・・限界のある(音韻ループの)リハーサルにのみ依存せずに、視覚・空間的スケッチパッドを使用することにより、より効果的に記憶できる点である。2つのサブシステムが補い合うことで、限られたワーキングメモリの容量をより有効に活用しているのだろう。」
私の研究をもとにして自主開発しました「九九学習システム」では従来の九九暗記カードに相当する「式カード」部分(これは音韻ループを使って暗記します。)と九九の仕組みを図であらわした「タイルカード」部分(これは視空間スケッチパッドを使って暗記します。)があります。(https://sadaemon.jp/info.html)ですから「九九学習システム」を使うと「式カード」と「タイルカード」の両方使って九九暗記する、「式カード」だけを使って九九暗記する、あるいは「タイルカード」だけを使って暗記する、ということが可能になります。すると「音韻ループ」だけではなく「視空間スケッチパッド」の両方を使って九九暗記をすることになります。さらに「エピソディック・バッファ」と「中央実行系」を使い、効果的な九九暗記ができることになります。「音韻ループ」「視空間スケッチパッド」「エピソディック・バッファ」「中央実行系」はすべて独立した機能ですから、すべての作業記憶機能をフル活用することができ、効率的な九九暗記ができることになります。
『ワーキングメモリと発達障害』より
また上のグラフを見ていただくとわかりますが、「音韻ループ」「視空間スケッチパッド」の年齢による容量は同じような変化を示していますから、どちらを使っても同じような結果です。しかも両方使うのですから、効果が倍増するかどうかは分かりませんが、少なくともそれぞれを単独で使うよりは効果的なようです。