教える前に「子どもの基本的人権」を保障、尊重し、理解すること
子どもにとって「あそび」とは、「心地よい刺激と楽しい運動」なのです。
子どもは、遊びながらたくさんのことを学び、そして心豊かに成長していきます。
子どもにとって「あそび」とは、「生きること」そのものです。
子どもにとって「あそび」は、食べたり飲んだり眠ったりといった、人間の生命を維持する行為と同様にたいせつなのです。
子どもの心身の発達にとって、「あそび」はなくてはならないものであり、子どもは遊ぶことによって心身が成長します。
子どもの「あそび」は、心身の発達の段階にともなって変化をします。
乳児期から幼児期、その先へと「あそび」の階段を上りながら、子どもは自ら試練を乗り越え、また新たな「あそび」を見つけます。その過程で工夫を凝らし、試行錯誤しながら学び、成長していきます。
子どもは、大人が想像する以上に「あそび」から人生にとってたいせつなことを自ら獲得していくのです。
「あそび」と聞くと「勤勉」や「努力」の対極にあるものと誤解するかもしれません。
「あそび」と似たようなニュアンスの言葉に「娯楽」があります。
どちらも何となく「楽しい」という共通点があるようにみえます。
しかし、「あそび」と「娯楽」の両者を比較すると次のような違いがみえてきます。
端的にいうと「あそび」は自発的なもので「娯楽」とは受動的なものです。
子どもにとって「あそび」は、まず「やってみたい」から始まります。一方、「娯楽」はテレビゲームやスマフォゲーム、電気仕掛けのおもちゃのように、スイッチをONにすれば受動的に物事が進んでいくものです。
遊びも娯楽も人生を豊かにするものに違いはありませんが、乳幼児や幼児期の子どもにとっては、「あそび」の方がより重要になります。
子どもにとっての「楽しい」は、前述のように「やってみたい」という「自発的」なものです。それが子どもの「あそび」なのです。
子どもたちの「やってみたい」という「自発的」な様子を観察していますと気づくことがあります。それは、「笑顔」と「全身運動」です。
以上の結実が、「脳の可塑性」を加速させるのです。
現在、子どもの「遊びの場」が少なくなってきました。
どう補うかですが、私はスポーツを「あそび」の場に変換して活動しています。
単なる勝ち負けだけにこだわらないスポーツ指導者が増えてきてほしいと切に思っています。



