子育てには「心地よい刺激と楽しい運動」を25
前回までのコラムタイトルは、子育てとは、「その子の内側の体験の世界」に「楽しく心地よい刺激と運動」を加えること、を解説しました。
この子育ては何を意味しているかですが、それは子どもの「脳の可塑性」を促進させることができるからです。
この子育て論をもっと積極的に子育てにアプローチしてみましょう。
皆さんでしたら、どのような「心地よい刺激と楽しい運動」という子育てをしてくださるのでしょうか。
今回からのコラムは、以前に紹介した子どもの心身の発達に「心地よい刺激と楽しい運動」をどう加えていただけるかという視点で子育てを考えてみましょう。
その答えは一つではなく、皆様方なりにあります。
子育てに迷ったときは、その子育てが「心地よい刺激と楽しい運動」に適応しているかどうか考えてみましょう。
また、「その子の内側の体験の世界」の子どもさんには、いろいろな特性があります。
わが子が発達障害であるかどうかということではなく、また、それが何だかんだではなく、わが子を理解し、「心地よい刺激と楽しい運動」を加えてあげることが重要なのです。
この子育ては、胎児から始まります。
それは、その子に「楽しく心地よい刺激と運動」を与えることなのです。
胎児や乳児、幼児(3歳児まで)は「心地よい刺激」です。幼児(4歳以上)以上は「楽しい運動」です。4歳以上の幼児には「心地良い刺激」は並行して内在します。
これが、私の研究における、育児方法であり、「子どもの心身の発達」及び「子どもの心身の伸びしろ値の向上」です。
この取り組みは、すべて脳科学を基にするものです。
また、テニス指導においても同様です。よって、テニス指導においては、他のスポーツ指導者とはすべて異なるものです。
また、この画期的な指導法は「脳を育てること」につながるものです。
「楽しく、心地よい」身体運動と刺激が、脳をつくるは、別にしてコラム掲載しています。
また、脳をつくることが「子育て」ですと、別にしてコラム掲載しています。
どれもこれも、子育てにつながり、またその子の特性を理解しながら、社会へとつなげていけるのです。
「脳を育てること」が「子育て」ですので、皆様ももう一度、最新の脳科学における「運動と脳」の新常識をご理解ください。
前に解説していることを再度述べるかもしれませんが、子育ての皆様が「子どもの脳のことを理解しながら、「子育て」をこれからもお願いいたします。
ご注意申し上げますが、脳というと大人の皆様方は「知識脳」つまり「暗記脳」と早合点しますが、「知識脳」ではありません。
お分かりにならないとは思うますが、子育てに積極的に使うのは「運動脳」です。
もう一つ大事なのは、勝ち負けだけの「運動脳」を使うのではなく、「自分の伸びしろ値」を上げる「運動脳」を使うことです。
子育てにとても重要なことを述べました。
子育ての支援をもう一度掲載します。
次の「子育て」を読んで、皆様方であれば、どのような「心地よい刺激」や「楽しい運動」を子どもへ提供していただけるのでしょうか? 正解は1つではありません。皆さんでしたら、わが子にどのようにアプローチしてくれるのでしょうか?
「心地よい刺激」は、養育者が積極的にかかわることが重要です。
「楽しい運動」は、この子には何が「楽しい運動」なのか見つけてあげることが重要です。
「子育て」解説46
言葉の綾の段階(言語獲得のプロセス)
文章の水準に達し、語彙や文法が習得されても、それで社会的な言語能力がすっかり身についたとはまだいえないのです。生活のなかで私たちが実際に使う言葉は、言葉どおりではないからです。
言葉は嘘もあれば誠もあります。さらに「反語」もあれば「ジョーク」もあれば「婉曲」や「言外の意」もあります。こうした言葉の綾は一筋縄ではいきません。例えば、頼みごとをした相手が「考えておきましょう」と答えたら、これはしばしば婉曲の断りなのです。しかし、本当に「なんとか考えてみよう」というときもあります。「馬鹿だなあ」といわれたとき、それは言葉どおり軽蔑や批難とはかぎりません。むしろ同情や慰めの言葉かもしれません。親愛や愛情の表現のこともあります。やっぱり批難軽蔑の場合もあります。同じ言葉が全く正反対の意味であったりして、これでどうしてコミュニケーションがなりたつのでしょうか。
「比喩」もけっこう厄介です。「死ぬほどつらい」といいながら生きているし、それはまだしも「死ぬほど大好き」など、字義どおり考えるとわけがわかりません。
日常のやりとりでは、言葉そのものから情報をつかみ取るだけでなく、言葉の外にあるものから広く情報をくみ上げながらコミュニケーションするわざが必要です。私たち大人は、それを概ね身につけています。相手と自分とがどんな表情や態度のもとに発せられたのか、等々を手がかりに、またそれなりの人間心理への洞察を手がかりに、しばしば表現どおりではない「言葉の綾」を読み解いているのです。言語のもつ「指示性」よりも「表出性」の読み取りがここでは極めて重要になります。
この技は辞書や文法書でいくら勉強しても身につきません。対人的・社会的な交流の実体験の積み重ねを通して経験的に習熟していく以外に手はありません。従って、社会経験のまだ少ない小さな子どもでは無理だし、知的には高くても関係(社会性)の発達に遅れがある場合も、やはりこの段階でつまずくことが起きます。
こうした言葉どおりでない(ある意味非合理な)言語使用は、私たち人間がはなはだ複雑な「心理的存在」であるところから生じたものだと思います。
そして言語のこちらの面をどこまでこなせるかは、関係(社会性)の発達のレベルに大きく依存しています。一筋縄ではいかない人間心理、対人関係の機微への洞察力が求められているのです。
とても大事な、たいせつな「あなた自身のわが子への子育て」が始まっています。
次回に続きます。



