「楽しく、心地よい」身体運動と刺激が、脳をつくる4
前回まで、子育てとは、「その子の内側の体験の世界」に「楽しく心地よい刺激と運動」を加えること、を解説しました。
この子育ては何を意味しているかですが、それは子どもの「脳の可塑性」を促進させることができるからです。
この子育て論をもっと積極的に子育てにアプローチしてみましょう。
皆さんでしたら、どのような「心地よい刺激と楽しい運動」という子育てをしてくださるのでしょうか。
今回からのコラムは、以前に紹介した子どもの心身の発達に「心地よい刺激と楽しい運動」をどう加えていただけるかという視点で子育てを考えてみましょう。
その答えは一つではなく、皆様方なりにあります。
子育てに迷ったときは、その子育てが「心地よい刺激と楽しい運動」に適応しているかどうか考えてみましょう。
また、「その子の内側の体験の世界」の子どもさんには、いろいろな特性があります。
わが子が発達障害であるかどうかということではなく、また、それが何だかんだではなく、わが子を理解し、「心地よい刺激と楽しい運動」を加えてあげることが重要なのです。
この子育ては、胎児から始まります。
それは、その子に「楽しく心地よい刺激と運動」を与えることなのです。
胎児や乳児、幼児(3歳児まで)は「心地よい刺激」です。幼児(4歳以上)以上は「楽しい運動」です。4歳以上の幼児には「心地良い刺激」は並行して内在します。
これが、私の研究における、育児方法であり、「子どもの心身の発達」及び「子どもの心身の伸びしろ値の向上」です。
この取り組みは、すべて脳科学を基にするものです。
また、テニス指導においても同様です。よって、テニス指導においては、他のスポーツ指導者とはすべて異なるものです。
また、この画期的な指導法は「脳を育てること」につながるものです。
「楽しく、心地よい」身体運動と刺激が、脳をつくるは、別にしてコラム掲載しています。
また、脳をつくることが「子育て」ですと、別にしてコラム掲載しています。
どれもこれも、子育てにつながり、またその子の特性を理解しながら、社会へとつなげていけるのです。
「脳を育てること」が「子育て」ですので、皆様ももう一度、最新の脳科学における「運動と脳」の新常識をご理解ください。
前に解説していることを再度述べるかもしれませんが、子育ての皆様が「子どもの脳のことを理解しながら、「子育て」をこれからもお願いいたします。
ご注意申し上げますが、脳というと大人の皆様方は「知識脳」つまり「暗記脳」と早合点しますが、「知識脳」ではありません。
お分かりにならないとは思うますが、子育てに積極的に使うのは「運動脳」です。
もう一つ大事なのは、勝ち負けだけの「運動脳」を使うのではなく、「自分の伸びしろ値」を上げる「運動脳」を使うことです。
子育てにとても重要なことを述べました。
子育ての支援をもう一度掲載します。
次の「子育て」を読んで、皆様方であれば、どのような「心地よい刺激」や「楽しい運動」を子どもへ提供していただけるのでしょうか? 正解は1つではありません。皆さんでしたら、わが子にどのようにアプローチしてくれるのでしょうか? 「心地よい刺激」は、養育者が積極的にかかわることが重要です。 「楽しい運動」は、この子には何が「楽しい運動」なのか見つけてあげることが重要です。
「子育て」解説4
マザリングから育まれるもの
マザリングの日々から何が育まれるのでしょうか。
<能動的な力の感覚>
泣くつど、親の手によって不快が取り除かれます。
この体験の積み重ねによって、不快に強いられて反応や生理的に泣くという受け身のものだった啼泣が、不快を除くための啼泣、親への能動的なはたらきかけの色を帯び始めます。
人は能動的なくしては生きていけません。
最初に芽生えた能動性を、能動的な力の感覚、私たちが普段使う言葉ですと「自信」の芽生えとなります。
<護られている感覚>
泣けば不快が除かれます、泣けば護られる体験の繰り返しから、周りから護られている感覚、周りの世界への「安心」の感覚が、身体全体で根付き始めます。
心理学者エリクソンが「基本的信頼basic trust」と呼んだもので、これが人間がいろいろな困難はあっても、周りの世界や自分自身をなんとか信じて生き抜いていける最初の土台となります。
<身体感覚の分化>
身体的な世話を通して、身体感覚の分化が進んでいきます。
もちろん赤ちゃんは、ここで述べた「安心」「自信」「信頼」といった言葉で、自身の体験をとらえているわけではありません。赤ちゃんが身体全体で、すなわち肌で感じているだろう言語以前の体験を、私たち大人の言葉に翻訳すれば、こうとでもいえるかなという憶測です。
このように発達心理学や発達理論には、赤ちゃんに対する大人からの視点からの「憶測」や「投影」を出ないところがあります。揣摩臆測による「おはなし」かもしれません。
が、大人たちが様々な観察事実を手がかりに、こうした揣摩臆測をあえてする背景には、赤ちゃんも決して不可知、不可解な存在ではなく、自分達と共通した存在であるはず、という確信があります。
親たちがわが子を自分たちと同じ「こころ」をもつ存在と確信して子育てをしているのです。
次回に続きます。



