「その子の内側の体験の世界」に「楽しく心地よい刺激と運動」を加える3
子育てとは、「その子の内側の体験の世界」に「楽しく心地よい刺激と運動」を加えることです。
この子育て論を訪問の皆様方へ周知したく、コラムへ掲載しております。
「その子の内側の体験の世界」の子どもさんには、いろいろな特性があります。
発達障害であるかどうかということではなく、また、それが何だかんだではなく、その子を理解してあげることが重要なのです。
そのかかわりは胎児から始まります。
前回のコラムをもう一度掲載します。
「その子の内側の体験の世界」のキーワードは、「その子を知る」「その子にはたらきかける」「その子を見守る」でした。
その子の特性を理解し、その子が社会に積極的にかかわることをサポートするという意味です。
その子の特性つまり「その子の内側の体験の世界」を理解し、その子が社会に積極的にかかわることが子育てですと解説しました。
では、それはどういうことなのかを皆様方が知りたがっていることなのでしょう。
それは、その子に「楽しく心地よい刺激と運動」を与えることなのです。
胎児や乳児、幼児(3歳児まで)は「心地よい刺激」です。幼児(4歳以上)以上は「楽しい運動」です。4歳以上の幼児には「心地良い刺激」は並行して内在します。
これが、私の研究における、育児方法であり、「子どもの心身の発達」及び「子どもの心身の伸びしろ値の向上」です。
この取り組みは、すべて脳科学を基にするものです。
また、テニス指導においても同様です。よって、テニス指導においては、他のスポーツ指導者とはすべて異なるものです。
また、この画期的な指導法は「脳を育てること」につながるものです。
「楽しく、心地よい」身体運動と刺激が、脳をつくるは、別にしてコラム掲載しています。
また、脳をつくることが「子育て」ですと、別にしてコラム掲載しています。
どれもこれも、子育てにつながり、またその子の特性を理解しながら、社会へとつなげていけるのです。
「脳を育てること」が「子育て」ですので、皆様ももう一度、最新の脳科学における「運動と脳」の新常識をご理解ください。
前に解説していることを再度述べるかもしれませんが、子育ての皆様が「子どもの脳のことを理解しながら、「子育て」をこれからもお願いいたします。
ご注意申し上げますが、脳というと大人の皆様方は「知識脳」つまり「暗記脳」と早合点しますが、「知識脳」ではありません。
お分かりにならないとは思うますが、子育てに積極的に使うのは「運動脳」です。
もう一つ大事なのは、勝ち負けだけの「運動脳」を使うのではなく、「自分の伸びしろ値」を上げる「運動脳」を使うことです。
子育てにとても重要なことを述べました。
皆様方であれば、どのような「心地よい刺激」や「楽しい運動」を子どもへ提供していただけるのでしょうか?
「心地よい刺激」は、養育者が積極的にかかわることが重要です。
「楽しい運動」は、この子には何が「楽しい運動」なのか見つけてあげることが重要です。
前回は「脳を育てる」を再掲し、皆様方へ「子育て」のご理解を促しました。
今回のコラムは「楽しく、身体を動かす」です。
これも、「子育て」にとてもたいせつなものです。
「運動脳」の解説35
「楽しい、心地よい運動」は、優越性追求の方向付け
人間の本性についての重要な心理学的事実は、優越性と成功を追及するということです。この追及は、つまり劣等感と直接的に関係があります。自分が劣っていると感じているのでなければ、自分が現在の状況を越えようと思わないからです。この優越性の追求と劣等感は、同じ心理現象の二つの面の中に存在します。
子どもの優越性の追求については、前のコラムで、子どもたちの劣等感、弱さ、自信のなさなどからの自分自身を解放することやより高いレベルに到達することそして平等感を得ることと述べました。また、現状としての体育は、運動をするものではなく、むしろ逆に運動する気をなくさせるものだった。内気な子や不器用な子、病弱な子―つまり、運動の効果を最も得られるはずの子どもたち―が押しのけられ、ベンチでほかの子の活躍を眺めているなんて、なんと残酷な皮肉だろう。内気な生徒のなかには、人と話したり友だちをつくったりする方法を学ぶ機会がなく、自分の殻に閉じこもり、とくに異性を避けようとする子がいる。ひとりだけ選び出されたり、社会性を養う特別クラスに追いやられたり、怖さを感じさせたりしている。と劣等感の事例を紹介しました。
すべての子どもたちには、みんなと一緒に同じことを経験したいという欲求があります。どんな子どもたちにも、「みんなといたい」「みんなと同じ」欲求があります。「すべての子どもたちやどんな子どもたち」の意をくんでください。
子どもたちの優越性の追求とは、他の子どもより秀でることではなく、みんなと「一緒に」「同じく」「経験したい」という有用な欲求なのです。
ところが、最近の様子をみますと、「とりあえず」みんなと一緒という執着心や「みんなと外れる」や「外される」ことに強い恐怖感をもっている少し有用とは思えない消極的な欲求があります。事例ですが、このようなことがありました。初めてスクールに来た子に、活動の様子を見せたのち「好きに打っていいよ」「きみならどう打つの」を伝えてから、ボールを出しました。まだ、ラケットの握りも打ち方も何も教えていません。その子はしばらく考えていました。そして辺りを見回しました。先輩たちの打っている様子をみてからボールを打ちました。つまり、最初に握り方の答えや打ち方の答えがないと行動できない様子が顕著に現れました。もう一つの事例は、別なその子に、身体の動きが滑らかなるトレーニングをさせました。その子だけです。周りの学校の友達はボールを打っていました。その子は途中で泣き出しました。私だけ外されて別のことをさせられていると考えていたのでしょうか。
もう一つの優越性の追求は、今人気のスポーツは誰でもやりたがります。このスポーツをみんなと「一緒に」「同じく」「経験したい」のです。スポーツではサッカーやテニスでしょうか。シュートやパスが上手いとか下手というテクニック上の欲求ではないのです。
大人はこれをかけっこが早い子だけ、高く飛べる子だけ、遠くへ飛べる子だけ記録会に出します。また、部活動では、競技スポーツが強ければ、上級生を差し置いて下級生の子でも出します。みんなと「一緒に」「同じく」「経験したい」子どもの権利を奪っているのです。
当法人の活動に「Jr-Open」があります。もう一度活動の内容を説明します。
「Jr-Open」は、子どもたちの優越性の追求の人気であるテニス競技を提供します。そして、二つ目の優越性の追求ですが、部活動でレギュラーになれない子どもたちが「一緒に」レギュラーと「同じように」「試合をする」のです。この試合は負ければ終わりというトーナメント戦ではありません。自分と同等のレベルのみんなとリーグ戦(5試合以上です)を経験します。
この活動がなぜ「楽しい、心地よい運動」になるかですが、「Jr-Open」は極力大人の干渉を省きます。「ベンチコーチなし」「応援は拍手のみ」「試合中の指示、助言禁止」「すべて子どもの考えでプレーする」「結果ではなく、どうプレーしたかの経過を重視する」「子どもを信じる」などです。
これが、優越性追求の方向付けになります。この方向付けがあるから、勝敗に関係なく、子どもたちが笑顔で楽しく、心地よいプレーができるのです。二つ目の優越性の追求でも笑顔がつくれますが、そこに大人の介入があれば、子どもたちには、笑顔はなく、「楽しい、心地よい運動」にはなりません。
前のコラムで紹介しましたが、経過を重視するといっても結果が出ます。その結果をどう受け止め考えるかです。敗けたことを自分の弱みと受け止められるかどうかです。また、勝っても自分の思う通りにできなかったことや自分の思った通りやっても勝てなかったことなどから自分の弱みを体験します。この体験から能動的に弱みに向き合うことで、より高いレベルへ到達しようとする「自分と向き合う勇気」や「自己成長」が促されるのです。これは、「楽しく、心地よい運動」という「優越性追求の方向付け」があるから、弱さが劣等感にならずに明日へ向かう勇気に「からだと心」が育まれるのです。
このことについて、アルフレッド・アドラーが説くように、人生のつながりの有用な道は、結果ではなく経験つまり、いかに行動したかの経過が重要だということを認識するのです。
「Jr-Open」は、「みんなと外れない、外さない」「一緒に、同じく、経験する」「楽しい、心地よい運動」をです。前述の少し有用とは思えない消極的な子どもたちも他のみんなと同様に心身ともに成長したのはもちろんです。
中学校までの子どもたちの「体育」や「部活動」そして「スポーツ」は、こうあるべきではないでしょうか。
また、もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、子どもたちにとっては、「楽しい、心地よい運動」は「生きる力」になります。子どもたちにとって、「楽しい、心地よい運動」は、一生涯の勇気づけとなるものなのです。
次回に続きます。
※明日(5日)と明後日(6日)は、Jr-openを開催しますので、コラム掲載はお休みします。
本日はその準備(全国大会の応援に行っていましたので大変です)です。
時間に余裕がありましたら、皆さんのリクエストがあります「京都の秋」をアップしたいと思います。