言葉のはじまり
「その子の内側の体験の世界」第24回目を解説します。
キーワードは、「その子を知る」「その子にはたらきかける」「その子を見守る」です。
また、今まで解説してきたことと重複するかもしれませんので、今までのコラムも再読していただければ幸いです。
「その子を知る」23
○相手の視点から理解することができない
前操作期では、ものごとを相手側の視点や他者の視点に立ってとらえるという認識のしかたも育っていません。ものごとは自分側の視点からしかとらえられません。ものごとを自分とは別の位置から眺めている人にも、自分がいま眺めていると同じにようにしかとらえられないのです。
それの例示が、「三つの山の課題」というもので、三つの山からなる模型を四方から眺めさせた後、その正面に座らせて、向こう側に座っている人にはどう見えるか、右側の人だったらどう見えるか、左側からはどう見えるかを問い、各方面から撮った写真の中から選ばせる実験です。すると多くの幼児は、今自分に見えている正面からの写真を選びます。今自分に見えている、自分にこう見えているという知覚上の「見かけにだまされる」のです。
このように視点の移行ができずに、自分の側からしかとらえられないことを、ピアジェは「自己中心性」と呼んで、幼児の知性の大きな特徴として重視しました。
自分の視点からではなく、逆に相手の視点からとらえ直そうとするのも、広い意味で可逆操作といえますが、まだ、その域に達してはいないのです。
さらにこの段階の子どもは、石も生きているとか樹も見たり聞いたりしているとか、非合理で呪術的な思い込みをしているとして、ピアジェは「アニミズム」と呼び、自己中心性とならんで幼児的な知性の大きな特徴としました。
これも「自分も生きていて見たり聞いたりしているんだから、石さんや樹さんも同じ」という自己中心性の一側面と理解できます。それを「アニミズム」という概念に結び付けました。
次回に続きます。