学校での精神発達③
スポーツ競技会組織からの脱退(私案)
中体連は各スポーツ競技会から脱退すべきです。次に説明します。
以前のコラム「子どものストレス解消」や「勝つってなに」で説明しましたが、中体連が主催するトーナメント戦が専門部の顧問の学校の生徒やその一派が予選通過できるまで恣意的に弱い相手とだけ対戦するような組み合わせを編成したり、嫌な相手を初戦で敗けさせるような組み合わせを編成したり、自分の学校の顧問であっても、生徒の実力順に申し込まず、顧問の贔屓する父母の生徒を優位に申し込むという有様です。つまり、生徒たちの正当な権利を剥奪しているのです。生徒の実力を真に考えるのであれば、トーナメント戦ではなくリーグ戦です。
なぜ、このようなことがまかり通るのかですが、それは中体連の成績が、高校入試において中学校長の推薦に利用されているからです。また、そのような顧問が出世をするような風潮があるからです。
もうこのような恣意的なものはやめましょう。部活動が変わり、高校入試のための中学校長の推薦がなくなる時代です。中体連は、競技スポーツ組織から退き、真の子どもたちの心身の発達のための、中学校の授業である「体育」として存続する意義があると思います。
「指導する大人などが今勝てればいいだけの指導」と「子どもたちの真の実力をわかりたい」には、相交わらないものがあります。
「勝つ」ってなんでしょうか。
大半は、対戦相手に勝つことだと思っています。
また、競技スポーツの指導者は「相手に勝つこと」だけに指導します。
なので、子どもたちの競技スポーツのトーナメントの組み合わせを見ますと歪んだものが大方です。
子ども期の「勝つ」を皆さんだけに教えます。その答えは、「今の自分に勝つ」ことです。
この時の「勝つ」の具体的な例は、テニスであれば、相手のコートにワンバウンドしてツーバンドするボールを打つことです。つまり、「自分がボールを正確に打てる技術を身につけること」です。これを「自分の伸びしろの値を高くする」と言います。これが、「勝つ」という正体です。けっして、競技スポーツ指導者の言う「相手に勝つ」ではありません。
また、型の打ち方の強要や試合方法の強要ではありません。まだ、昔の常識にすがっているまたそれだけしかできない指導者がたくさんいます。
もう一つ間違いがあります。相手を敵とみなしてプレーをしていることです。相手は、今の自分のレベルを判断するためにあるのです。つまり、対戦相手は自分が上手くなるためにあるのです。その相手をたくさん経験することが自分の伸びしろ値を高くします。ある学校では、学校の顧問が、子どもたちに相手を敵とみなして、指導させているのを見かけます。これはいかがなものでしょうか。それが教育でしょうか。教育者でしょうか。
こう考えますと、今まで、学校で相手に勝たなければならないような学習や指導法は間違っていたのではないでしょうか。
また、昔の戦法や打法を強いているものがありますが、昔の常識は今の非常識です。自己流として自分でやるのは結構ですが、しかし、未来ある子どもたちへ教えるのは、いかがなものかなと思い続けています。
このような昔の常識を子どもたちに指導すると子どもたちはストレスになります。
学校の学習でも、苦手な教科の点数などを今日から明日へ高く上げていく伸びしろ値が「勝つ」です。
これも、友だちとの比較ではありません。おわかりになりましたでしょうか。すべて、子どもたちの自分自身の伸びしろ値を高めることです。指導者は、指導する全ての子どもの伸びしろ値を高めてこその真の指導者です。学校の学習のマニュアルをそのまま教えることが指導とはいいません。そのような指導では、子どもたちの伸びしろ値は高まりません。
前に解説しましたが、子どもたちの伸びしろ値を高めるためには、「楽しい、心地よい運動」が必要になります。これを競技スポーツにどう反映するかがこれからの指導者に求められています。その解決方法は、競技スポーツを中学校の授業である「体育」へ導入することです。
次回に続きます。