その子の内側の体験の世界9
赤ちゃんが泣きだしたときに、親はどう反応するのでしょうか。
わが子の泣き声を、未分化な不快な感覚の生理反応や受動的な反応に過ぎないと考える親はいません。
わが子から親への啼泣つまり要求や訴えを能動的なコミュニケーションとして受け止めます。
つまり、赤ちゃんをすでに自分達と同じように感じたり考えたりする存在として認知するのです。
どちらも「こころ」をもった存在として受け止めているのです。
こうした親の思い入れによってこそ、赤ちゃんの精神発達は支えられています。
胎内にあるときから、生まれたときから、すでに「こころをもつ存在」として存在するのです。
赤ちゃんが泣きだしました。
この子は私に何を要求、訴えているのでしょうか。
「おなかがすいた」と訴えているのでしょうか。あるいは、寒がっているのでしょうか、寂しがっているのでしょうか、おむつが濡れて冷たいのでしょうか。
このように赤ちゃんの啼泣を親や自分たち大人が社会的に共有している感覚や情動に引き寄せて考えます。
おなかがすいていると思えばミルクを与えてみます、寒そうと思ったら毛布を掛けます。おむつを調べて濡れていたら替えます。
その都度の状況判断と試行錯誤によって赤ちゃんの要求や訴えに応えようとします。
このような赤ちゃんの世話を「マザリング」といいます。
これによって、啼泣がもたらす不快が取り除かれれば、赤ちゃんは泣きやみます。
赤ちゃんの世話とは、こうしたシンプルですが、とても根気と心配りの必要な手探りの繰り返しなのです。
次回に続きます。