「子どもの発達の意欲値及び自分の伸びしろ値」理論
人間の本性についての重要な心理学的事実は、優越性と成功を追及するということです。この追及は、つまり劣等感と直接的に関係があります。自分が劣っていると感じているのでなければ、自分が現在の状況を越えようと思わないからです。この優越性の追求と劣等感は、同じ心理現象の二つの面の中に存在します。
子どもの優越性の追求については、前のコラムで、子どもたちの劣等感、弱さ、自信のなさなどからの自分自身を解放することやより高いレベルに到達することそして平等感を得ることと述べました。また、現状としての体育は、運動をするものではなく、むしろ逆に運動する気をなくさせるものだった。内気な子や不器用な子、病弱な子―つまり、運動の効果を最も得られるはずの子どもたち―が押しのけられ、ベンチでほかの子の活躍を眺めているなんて、なんと残酷な皮肉だろう。内気な生徒のなかには、人と話したり友だちをつくったりする方法を学ぶ機会がなく、自分の殻に閉じこもり、とくに異性を避けようとする子がいる。ひとりだけ選び出されたり、社会性を養う特別クラスに追いやられたり、怖さを感じさせたりしている。と劣等感の事例を紹介しました。
すべての子どもたちには、みんなと一緒に同じことを経験したいという欲求があります。どんな子どもたちにも、「みんなといたい」「みんなと同じ」欲求があります。「すべての子どもたちやどんな子どもたち」の意をくんでください。
子どもたちの優越性の追求とは、他の子どもより秀でることではなく、みんなと「一緒に」「同じく」「経験したい」という有用な欲求なのです。
ところが、最近の様子をみますと、「とりあえず」みんなと一緒という執着心や「みんなと外れる」や「外される」ことに強い恐怖感をもっている少し有用とは思えない消極的な欲求があります。事例ですが、このようなことがありました。初めてスクールに来た子に、活動の様子を見せたのち「好きに打っていいよ」「きみならどう打つの」を伝えてから、ボールを出しました。まだ、ラケットの握りも打ち方も何も教えていません。その子はしばらく考えていました。そして辺りを見回しました。先輩たちの打っている様子をみてからボールを打ちました。つまり、最初に握り方の答えや打ち方の答えがないと行動できない様子が顕著に現れました。もう一つの事例は、別なその子に、身体の動きが滑らかなるトレーニングをさせました。その子だけです。周りの学校の友達はボールを打っていました。その子は途中で泣き出しました。私だけ外されて別のことをさせられていると考えていたのでしょうか。
もう一つの優越性の追求は、今人気のスポーツは誰でもやりたがります。このスポーツをみんなと「一緒に」「同じく」「経験したい」のです。スポーツではサッカーやテニスでしょうか。シュートやパスが上手いとか下手というテクニック上の欲求ではないのです。
大人はこれをかけっこが早い子だけ、高く飛べる子だけ、遠くへ飛べる子だけ記録会に出します。また、部活動では、競技スポーツが強ければ、上級生を差し置いて下級生の子でも出します。みんなと「一緒に」「同じく」「経験したい」子どもの権利を奪っているのです。
当法人の活動に「Jr-Open」があります。もう一度活動の内容を説明します。
「Jr-Open」は、子どもたちの優越性の追求の人気であるテニス競技を提供します。そして、二つ目の優越性の追求ですが、部活動でレギュラーになれない子どもたちが「一緒に」レギュラーと「同じように」「試合をする」のです。この試合は負ければ終わりというトーナメント戦ではありません。自分と同等のレベルのみんなとリーグ戦(5試合以上です)を経験します。
この活動がなぜ「楽しい、心地よい運動」になるかですが、「Jr-Open」は極力大人の干渉を省きます。「ベンチコーチなし」「応援は拍手のみ」「試合中の指示、助言禁止」「すべて子どもの考えでプレーする」「結果ではなく、どうプレーしたかの経過を重視する」「子どもを信じる」などです。
これが、優越性追求の方向付けになります。この方向付けがあるから、勝敗に関係なく、子どもたちが笑顔で楽しく、心地よいプレーができるのです。二つ目の優越性の追求でも笑顔がつくれますが、そこに大人の介入があれば、子どもたちには、笑顔はなく、「楽しい、心地よい運動」にはなりません。
前のコラムで紹介しましたが、経過を重視するといっても結果が出ます。その結果をどう受け止め考えるかです。敗けたことを自分の弱みと受け止められるかどうかです。また、勝っても自分の思う通りにできなかったことや自分の思った通りやっても勝てなかったことなどから自分の弱みを体験します。この体験から能動的に弱みに向き合うことで、より高いレベルへ到達しようとする「自分と向き合う勇気」や「自己成長」が促されるのです。これは、「楽しく、心地よい運動」という「優越性追求の方向付け」があるから、弱さが劣等感にならずに明日へ向かう勇気に「からだと心」が育まれるのです。
このことについて、アルフレッド・アドラーが説くように、人生のつながりの有用な道は、結果ではなく経験つまり、いかに行動したかの経過が重要だということを認識するのです。
「Jr-Open」は、「みんなと外れない、外さない」「一緒に、同じく、経験する」「楽しい、心地よい運動」をです。前述の少し有用とは思えない消極的な子どもたちも他のみんなと同様に心身ともに成長したのはもちろんです。
中学校までの子どもたちの「体育」や「部活動」そして「スポーツ」は、こうあるべきではないでしょうか。
また、もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、子どもたちにとっては、「楽しい、心地よい運動」は「生きる力」になります。子どもたちにとって、「楽しい、心地よい運動」は、一生涯の勇気づけとなるものなのです。
次回に続きます。