ちゃんと聴いてる
母の葬儀から1週間後に叔父(母のすぐ下の弟)が亡くなり、気力がすっかりしぼんでしまっていた。
「ああ、人は死ぬんや」と、続けざまに確認したというのかな…
人は死ぬ、命あるものはいつかは死ぬという、当たり前のことだけど。
あれから、母の夢はよくみる。
父のときとちがって、思い出すことは、かなしくはないからかな。写真も平気で見られるし。
母の認知症がすすんでいく中で、ある意味、母とは何度もお別れをしてきたような気がする。
悩みごとの相談ができなくなったとき。
フツーの会話が続かなくなったとき。
言葉が消えていったとき
…
今なら、母は最後まで母だったと言い切れる。
あの最期の10日間、母の意思がこんなにもちゃんと伝わって、受け取れるんやと確信した。
母の介護に途方に暮れていた頃、このコラムに「見送ったあとに書かれたモノは美化が入ってるから、役にたたない…」などと、なんてゴーマンなことを書いていたのかと恥じている。
美化されることこそが救いなんやと、今は思える。
母が亡くなるまで、症状が出かけてからだと14年ほど。
改めて数字を見るとじゅうぶん長いな。
いろんなことがあった。
たくさん泣いた…はず
今ふりかえると、ツライ記憶はそんなに覚えていない。あの時のココロの痛み、ツラさをもうリアルには思い出せない。
だから美化されるのだ。
日々正直にコラムを書いておいてよかったと思う。
当時、今よりずっと真面目に更新してて、本当によかった。
これが、なんか役に立つんじゃ無いかと思う。
立てないと、ね。
母が居たから、「ともべぇ」をはじめた。
母が居なくなっても「ともべぇ」を続けるには、ここから得たことを使うしかない。
どう使えばいいんか?
…やねぇ…