なじんだきゅうりの味
コラム未更新記録を大幅に更新しているこの頃・・・
先月中ごろから、体調こわしたり、咳喘息?でウゲウゲしたり・・・という毎日だった。
もちろん、仕事はあるし、畑も?あるし、母は帰ってくるし、で、
「せなアカンこと」はなんとかこなしつつ、しかし、日々の小ネタ(たまには大もあったけど)を拾い上げて綴る気力が出ないのでした。
その一番の大きな原因は、わかっている。
もうすっかり忘れ去られているかと思いますが、いちおう、「本を書く」という作業は継続しているのです。
いったん書いてはみたものの、話があちこち行き過ぎて、どうまとめたらいいかというドツボにはまり、これは何かどっしりとメインを据えて書くのがいいのでは?というのに至り、このコラムを見直すという膨大な作業に取り組んだのです。
強力な助っ人を頼み(キビシク、追いこんでもらうために?、元会社の上司を頼ったのでした)、コラムの分類、絞込みなどを重ね、やっぱり「母の介護」を柱とすることにようやく決まる。で、読み込んで行く中で、なんというか、今との温度差かな?
あの日々を通りぬけて、だからこそ今、この穏やかな母との時間があるのだとわかっているけれど、母とのあのあまりに濃くて酷で、ぐるぐるだった日々の生々しさに圧倒されてしまったのだ。書いているのは自分なのだけれど。
今はもうどうやっても、あの日々には行けない。
その時その時の「リアル」というものがもつ、勢いというか、力かな。
通り過ぎた後に、本として「まとめる」ことで、なんか、違うものになってしまうのがこわくて、ジタバタもがいている。
そうしていたら「今」のことも書けなくなった・・・
というのが、長々しい言い訳です・・・はぁ・・・
正直、なんか、自分がひどく変わったように感じる。
この変化は、いいのか悪いのか?
でも、あきらかに母との距離は、時間的にも空間的にも離れてしまった。
週のうちほんの一泊家で過ごす今、私は母のコト、ちゃんとみれているのかな。
こんなんで、いいんかな・・・大きくなったのは、後悔。
はぁ・・・
そうか、今のその後悔に向き合うコト、かな。
「後悔」は、形を変えるけれど、いつもずっと、あるんやから。
なんかちょっと、みえた気がする。(やっぱり、今日コラム書いてよかった。えらい時間かかったけど・・・)