心配する側になって
日曜日、母の79歳の誕生日だった。
幼馴染のみっちゃんが、はるばるやって来てくれて、
せっかくやから・・・と、「お誕生日会」なるものを、華々しく?やりました。
前日からド~ンと煮込んだ「おでん」。
収穫済の大根をとにかく使い果たしたサラダ。
丸いケーキにろうそく立てて、ギター演奏で「ハッピバ~スデイ」を歌い、
お祝いしました。
ケーキを目の前に置くと、母はすごい早業で、もう指にクリームをつけている。
苺をバクバク食べて、ご満悦。
なんかわけわからんままやったとしても、
久しぶりに、にぎやかに過ごして、興奮状態。
(夜もずっとしゃべり通しで、またまた、なかなか寝ないのでした・・・)
周りの大食いにつられてか、父もずいぶん食べていた。
まだまだ寒いけど、カラダもえらいけど、
それでも、自分では、底からは抜け出せたようだ・・・と言っていた。
4月の父の誕生日には、畑部集合で・・・と盛り上がり、
「酢豚がいい」などと、メニューのリクエストまでしていた。
やっぱり、あったかくなったら、元気になるで~と言って。
今日、
父は一人で、入院していた病院での検診結果を聴きに行ってた。
半年ぶりの検診がちょっと悪かったようで、先週再検査をした結果。
「転移のようで・・・云々」
「明日、一緒に説明聞きに行ってくれるか?」と、メールがきた。
「行ける」とだけ返事した。
その後、いつものように、「今帰ってきました」連絡があって、
そのすぐあとに、
「化学療法の先生から大雑把に説明はきいた。
悲観も楽観もせず、今から一日一日を有意義に過ごすと同時に、
癌に打ち勝つ精神力を持続していきますので、心配しないでください」とメールが来た。
「うん」とだけ、返した。
もう、なにも言うことは無いと思った。
一般論としての様々な状況からすれば、もうすでに十分だと言える。
冷静な思考もちゃんと働いている。
それでも、今この文章を打ちながら、やっぱり涙が出る。
なんともいえない不安?怖れ?哀しみ?
当事者は父であり、私ではないのに。
トマラナイ・・・