車いすで
母の調子によっては、前から両手を引いて歩くときがある。
両手を上下に振りながら歩くと、足が出やすい・・・ということもあるが、
両手を持つと、つい「ヨイヨイヨイ・・・」と言ってしまう。
すると、母もとてもうれしそうに、「ヨイヨイヨイ~」と、手を上下に振って歩く。
どんなにボーっとしていても、両手をもって、この「ヨイヨイ・・・」をすると
なぜか、ぜったい「ヨイヨイヨイ~」と調子を合わせてくる。
母の記憶の中に、すでに“本能”といえる深さのところに、根付いているのだろうか。
これは、もうほとんど“反射”だ。
母自身が小さかった頃もおそらくそうしてもらって歩いたのだろう。
私も、祖母にそうしてもらったから。
そして、母親として兄や私に。
さらには、おばあちゃんとして、孫たちにも。
「ヨイヨイヨイ~」と口をつくときの笑顔の記憶が、母に沁みこんでいるのなら、
それはとってもうれしいこと。
なじみの童謡を歌うと、もうこれだけ言葉が出てこなくなっているのに、
ついて歌える曲がまだたくさんある。
メロディと一緒に歌詞が勝手に口から出てくる・・・というかんじ。
言葉としての意味はもうわかっていないから、
単なる“音”として、似たような言葉にすり替わっていたりもするが。
「ヨイヨイ」や童謡で、イキイキする母。
だからといって、それが「幼児返り」なのではないと思う。
母にとっては、「反射」になるぐらい、深くココロとカラダに沁みついているモノなのだ。
人によって、その沁みついているモノはちがうのだと思う。
お説教だったり、商売のやり取りや、学校での講義だったり・・・
なので、一律に、高齢者には童謡を歌うといい・・・というのではない。
まして、小さい子のよう・・・なのでは、決してない。
母の手を引くたびに、一緒に童謡を歌うたびに、そのことを強く意識する。