兄妹
昨日、4月1日は父の82歳の誕生日。
といっても、ホントに生まれたのは8日らしいので、
正確にはまだ81歳なのだが・・・
しかしまあ、戸籍上は1日なので、いちおうイベントとしては1日としている。
(エイプリルフールというのが、なんか、父っぽいとも思う)
どうやら父は、祖母が40過ぎてからの子供らしく、(確か上に4、5人いたらしい)
1年でも早く巣立ってほしかったようで、繰り上げて届けたそう。
結果、子供の頃はずっと周りと比べて、ちっこくてひよわっちい子供だったらしい。
「らしい・・・」ばかりなのは、遠い遠い昔に祖母から聞いた話だから。
父については、このコラムでもよく書いているので、
今はかなりな「仲良し親子」風ではあるけれど、
実は、なんといってもまだまだ期間は浅いのだ。
いわゆる高度成長期の「モウレツ社員」であったので、子供の頃はほとんど母子家庭。
とても本人には言えないけれど、私にとって父とは、
あんまりしゃべったことないし、よくわからん、けど、なんか家には居る・・・
という一番最初に出会った「身近な他人」・・・ともいう存在だった。
(隣のオジチャンのほうが、ずっとずっと仲良しで大好きだった。)
成績や進路なんかの話ももちろんしたことない。
私がどこの高校に行っているかも知らんのでは・・・ぐらいに思っていた。
なのに、それがまあ今では、自意識過剰かもしれないけれど、
父の中では「私」が閉める位置が相当大きいように思う。
もちろん母の介護が、父の中心ではあるはず。
しかし、母がショートでいない時などは、まるで新妻のように私の帰りを待っている。
8時には二階に上がって自分の世界でのんびりしたいはずの人が、
晩ごはんを待っていてくれるのだ。
そして、一緒に食べている間中、この料理を作ったいきさつから、
今日あったあれこれを、私にしゃべりまくるのだ。
話で聞く、勤めから帰ってきた夫に対する新妻のよう・・・でないか???
まあ、日頃母と二人でいる時間というのが、父には相当ストレスになっているのだろう。
そこに、第三者が入る、帰ってくるというのが、父にはなによりホッとすることなのかな。
この生活が、いつまで続くのか(続いていいのかも含めて)わからない。
けど、82歳になる父が、手探りで、今までの自分とは違うところで
頑張っているのは、やっぱりすごいと思う。
なかなか直接には言いにくいけど、
「いつもありがとう」と、昨日は、素直に伝えられた。
どうやら、「ごはん」のこと(だけ)だと思ったようで、
また、料理について熱く長々と語りだした・・・
まあ、いいか・・・