目が離せない
ずっと考えている。頭から離れない。
先日のAさん・・・(参照http://mbp-japan.com/hyogo/tomo-be/column/23630/)
あの一人でお酒を飲んでいる息子さん・・・・
どのような介護サービスを利用するか・・・などで解決できることではない。
ある意味、心のケアの問題。
今まで育ってくる中での関係性や、生きざまも含めて、心の奥の奥に関わる問題。
介護を受ける人=要介護者の人権、尊厳に目を向けることは、王道で取り上げられている。
介護保険における主役は、介護を受ける人なのだ。
でも、あの息子さんやAさんに出会って、
今まであまりにも自分が意識をしていなかったことに愕然としていることがある。
介護を終えた後(見送った後)の介護者のこと。
少なくとも、お母さんが元気なうちは(というのもおかしいけれど、ようは生きている間は)
ケアマネジャーがのぞく、ヘルパーさんが決まった日時に来る、往診があったりする。
外とのなんらかの接点がある。
もちろん、お母さんの年金もあるので、現金も入ってくる。
長い長い介護。
その間に、仕事や個人的なつきあいや、
極端な言い方になるが、要は「自分の人生」を後回しにしたり抑え込んだりしているうちに
つながりが途絶えてしまう。
全く消失してしまうこともある。
介護をしていた人のその後の生活をフォローするような仕組みはないのだ。
つながりが無いことが、個人の問題、個人の責任・・・とは思えない。
そうなってからでは遅いから・・・・とよくいわれている。
けど、わかっていても、介護の最中に、そんなことを考えている暇もゆとりもない。
介護者の集い・・・電話相談・・・
いろいろある。もちろんある。
けど、どれだけの人が、知ってて活用できているのだろうか。
介護のプロとして仕事をする中で、様々な講習を受けている。
「専門家」であって、「家族」や「友人」ではないという区別をつけること
きっちりつけなければならないと学ぶ。
けど、その「区別」ということに隠れて 大事なことが見過ごされていると思える。
ようやく思い知った。いまさらですが・・・
「仕事の範囲」とは考えたくない。
個人でできないことを、介護保険の枠を超えた、“つながり”創りを
やっていきたいと思っている。
ここからは、まだ妄想の範囲ですが、
「出張バー」とか・・・・
・・・・
この項続く・・・