車いすで
今週から始まったドラマ、「マドンナ・ヴェルデ」を見ていた時、
病気で子宮と卵巣を摘出したという娘に、
母親が「ごめんね 健康な体に産んであげられなくて・・・・」というセリフがあった。
思いだした。
私が入院していた時も、母がそう言ったことがあった。
そう言われたことは、何よりもつらかった。
けれど、そう言った母の方が、もっともっとつらかったんやと、今は思える。
私の病気は、たまたま、風邪をひいたら、その風邪の菌が脊髄に入ったというだけ。
誰が悪いわけでもないし、まして、なんで私が とも思うことはなかった。
そんな、自分が悪いなんて、言わんとって、思わんとって・・・・と母に言った覚えがある。
それでも、そう思うのが母親なんだと、今は思える。
ドラマの中で、「母親っていうのは、おろかなものなの・・・・」というセリフもあった。
今母が、いろんなことが出来なくなっていく中で
新たな出来ない、わからない場面に出くわした時に、
父が いちいちうろたえることに驚く。
本当に、びっくりするぐらいに、うろたえている。
久しぶりに会った兄もそう。
もちろん毎日一緒にいる父ですらそうなので、たまに会う兄が
母にどう関わったらいいのか わからないのも わかるけれど。
そんな父や兄を見ていると、
“妻”や、“母”に対する 永遠のロマンというか
なんとも形容できない想いが 深く強くあるんやと 思う。
それを こう冷静に見ている私は・・・
なんだか、自分だけどんどん 淡々としたところへ進んでいるような気がしてしまう。
もう 泣かなくなったし、強くはなってきたけれど。
何かを無くしているんじゃないかと、
立ちすくむ。