外でスッキリ
昨日、母と一緒に母の服を片付けた。
衣替えをしつつ、着なくなった服のより分け。
少し前なら 「全部が自分の大事な“いるモノ”」だったので、
破れたものや 使えないものを 私が隠れてこっそり処分していた。
今は、ほとんど物に対する執着がないようで、
「これはもう全然着てへんな~」と言って古い服を見せると
「○○ちゃんのんとちゃう?」、「知らん~」と言っている。
私の方が、「確か、昔お気に入りやったヤツやし・・・」などと思って、
ついつい残す物を増やしてしまった。
スーパー主婦やら 片付け名人やら いろいろ流行っているようで、
今朝のTVでも「無駄をなくして~」とやっていた。
また、おひとり様暮らしの基礎として、暮らしそのものを小さく、コンパクトに~
というような書物も大流行り。
父母と、生まれ育った家で暮らす中で、
遠くない将来、父母を見送った後のこの家の始末というのが、
私にずっしりとのっかっているのが 分かっている。
片づける段取りや、自分の終の棲家をどこにするかというのも
すでに「定番妄想コース」になっている。
けれど、どうせなら今、父母がいるうちに 一緒にその作業ができたらと思う。
残したいモノ、いらないモノ、あることすら忘れているモノ、
まさかこれがという大事なモノ などなど・・・
元気なうちに少しづつ暮らしを小さくして、把握できているものに囲まれてくらす。
今の時代 なによりの“ゆとりある贅沢”かもしれない。
介護が必要になった時、急に入院、入所になった時、
自分も周りも途方にくれないためにも。
ともべぇの仕事に かませられないか そこにも妄想が膨らんでる。