もみ・・・じ
迷子や事故や怪我や、秋口からいろんなことが起こってきた。
振り回されている自分、妙に冷静な自分、ほっとしたり、またか~と思ったり、
いろんな感情に出会ってきた。
母もまた、その都度いろんな面が出たりひっこんだり 変化したり。
いたいけなまるで小さな子供のように不安いっぱいですり寄ってきてた時は、心配は大きかったけれど、
(この表現は非常によくないけど)実際 扱いやすかった。
“素直”だったり“甘えた”だったり、“しおらしい”というのだったり。
こっちにとって都合のいい状態の母というのは、確かにある。
(介護のプロの看板を背負っての発言か・・・とも思うけど 正直なところ)
よく、“かわいいおばあちゃんになる”などということが
よい歳のとりかたのように言われたりもするのは、
こういうことかと思う。
母の介護という迷路を進む中で思うのは、
やっぱり本来の我が出ているのが一番母らしい母なんやということ。
しんどい部分としては、気が強くて、融通がきかなくて、頼らなくて、頑な。
子供のころの絶対権力者やった母から、
私自身が成長する中で少ずつ見えてきた“女”としての母の性質。
(日常抑え込んでいるので、たまに出た時が強烈だった。)
(否定しても少なからず自分にも引き継がれている器質もあって おののくけど。)
そこが、変わることなく、むしろ強調されて よりストレートに出てきている。
やっと自由に 本来の自分を解放している と思える。
すごいなあと思う。
よかった と思う。
これが母。
丸ごと受け止めるということ。
「認知症」ということを受け入れる葛藤。
その中で あえて見なかったこと、都合よく解釈していたこと、
自分にとって そうであってほしい状態を 勝手に望んでいた。
と、ようやく思える。
改めて、ここから始める。
むき出しの母と 娘として 本当に向き合っていく。
まだまだ これからも いろんなことに気づくやろう。
今日の想いが 的外れということもあるやろう。
それでも なんか また一つ、
「覚悟」というほど大げさなものではないけど
なんか、心の芯の方に形になって積っていくものが、
今 ある。