25【金融知識】FPのセミナー動画40分「おかねもちになるほうほう」初心者向け資産運用セミナー
僕は2023年11月17日現在52歳です。2017年、46歳の時に書いた”半生の棚卸し”をアップしました。
長いので4分割にしています。おもにサラリーマン時代、早期退職、不動産投資、の葛藤や経緯について書いた自叙伝。個人名や会社名は仮称に変更しています。会社名は今更ですが(笑)、まずは1章と2章。早期退職がちらつき始め不動産投資を本格化させた時機です。以降についても様子を見ながらアップしていきます。
目次
1.第1回早期退職募集
2.不動産投資
3.第2回早期退職募集
4.単なる僕
5.早期退職の後
6.再サラリーマン
7.サラリーマン卒業
8.シアワセの逆算
1.第1回早期退職募集
「部長、わかっちょります。」
大分出身のアラカンの男性オオクボさんは僕が言葉を出す前に言った。
僕は黙って深く頭を下げた。
日本BE株式会社、当時の勤務先。僕は福岡第二営業部の部長、37歳だった。
前身のクレジット株式会社に30歳で中途入社し順調に昇進していた。ところがその親会社の業種が軒並み業績不振に陥った時期で親会社も例外でなかった。子会社であったクレジット会社はシルバーマンソックスに売却され、さらにBEへと売却された。
ようやく社名が落ち着いてしばらくした頃だった。
2008年9月 リーマンショック
一通のメールが届いた。「即時、貸出の禁止」
リース会社は取扱店が顧客に商品を売る際に使われる。顧客は主に事業者、商売をしている人となる。その顧客から見ると現金で商品を買うか、リースやローンを使って商品を買うかということになる。リースだと全額経費計上できる税制上のメリットもある。取扱店としては現金よりも商談がすすみやすいし、商品代金をリース会社から回収するほうが早くて安心だ。リース会社の収益は取扱店に支払う商品代金と顧客から回収するリース料の差額となる、イメージは金利みたいなものだ。
リース会社はどこからか資金を調達し取扱店への商品代金決済資金にすることになる。
そのリース会社が貸し出し禁止の指示。今までは貸し出しを増やすのが仕事、ノルマ、絶対命令だったのに。
なんでこんな指示が来るのか。
メールには続きがあった。
通常は低い金利で資金を調達し、高く貸し出し利ザヤを稼ぐ。ところが全世界企業であるBEは全世界の資金調達をアメリカで行い、貸し出しを各国で行っていたらしい。金利の高いアメリカで資金調達し、金利がメチャメチャ低い日本で貸し出していたということだった。「今まで黙ってたけど、実は逆ザヤだったんだよねー」、という話だった。
ありえない。
誰が考えてもおかしいが、それがBEのポリシーで絶対のルールだった。
すぐに具体的な指示も追加された。事前審査可決済の案件についてはリース他社への振替や現金購入へ誘導すること。どうしても実行しないといけないなら料率を上げる交渉や延期交渉すること。
今までと180度逆の指示だ。今までも部の業績にうるさかった上司はすぐにこの指示に順応した。毎日のように「もっと減らせないか」と言うようになった。変わりないのはうるさいことだけだった。
中小企業がほとんどである取扱店は商品代金がスムーズに回収できないばかりか商談自体が流れる可能性が勃発した。理解を得られるハズもなく反発は必然だった。
誠心誠意お詫びをすること、そして半ば開き直って頭を下げ続けることを繰り返すしかない日々だった。
そして、恐れていた早期退職の募集が始まった。意外に早い。早期退職を選択すると勤続年数、職位に応じた割増金があった。外資だけあって慣れている。なんでも早期退職制度のための積立金も潤沢なんだとか。募集と言いつつ、僕のもとには退職させる部下のリストが届いた。
高齢者、不振者。部下11名のうちにも対象者がいた。サラリーマンにとってはある意味、死刑宣告。退職勧奨に応じない場合は繰り返し応じるまで話をする、自発的に早期退職するように話をする、それが指示だった。
アラカン世代にとっては割増の退職金が出てハッピーな人もいたかもしれない。ただ、自分の意思で自分の生き方を選択できないことが本意のはずがなかった。一緒に仕事をしたのもわずか半年。自分よりもはるかに若い上司、しかも中途入社の僕にそれを告げられることを受け入れてくれるのか。
想像がつかなかったものの個別に会議室に呼んだ。オオクボさんは僕が何も言う前に察してくれた。僕は自分の職責が果たせた安堵、一緒に過ごした月日が認められたような嬉しさとともに会社に対する不信感が募った。
人員が減り組織がスリム化された。福岡の営業部も2つが1つとなり、僕は福岡営業部の部長となった。部下は8名。いなくなった社員の分も残った社員が業績を上げていくしかない。しかし、本業のリース営業はまだ再開されず、手数料商売である生命保険を強化するところからのスタートだった。いきなり保険を獲得することは難しい。まずは“保険証券獲得件数キャンペーン”が打ち出された。どこからでもいいから生命保険証券の写しを入手してくる件数を全国63の営業部で競う単純なものだった。僕は警戒した。時間を持て余す営業部隊のガス抜きと利益確保以外に、再度の早期退職人員選抜テストを兼ねているのかもしれない。”そんなことやっても仕方ない”と真面目に取り組まない営業部もある中、部下には全力でやるよう指示した。どんな業務でも全社員の中で半分より上位の営業成績を取るよう指導した。もし、再度の早期退職で人員を半分にするとした場合、半分より上位にいれば残るか残らないか自分で選択できるからだ。このキャンペーンでは福岡営業部は全国1位を獲得した。僕の前職の生命保険会社での経験はこのためにあった気がした。
しばらくしてリース営業が再開され段階的に取扱高を増やしていく方向になった。とはいうものの、社内の命令系統は混乱し営業は制約の多い状態は変わらない。そして貸出条件は競合他社とは戦えない利益の出る料率を遵守すること。そもそも、いったん貸出をストップしたリース会社が信用されるワケがない。取扱高は散々な状態で実質は営業停止が続いているに等しかった。残業もほぼ禁止され時間的な自由度も奪われていった。
不安定な状況が続く中、若い部下たちは毎日を前向きに取り組み、その位置を維持し続けた。加えて部下には、カラダを鍛える、資格を取る、リラックスする、本を読む。とにかく目的を持って時間を過ごすよう話をした。この会社だけでなく世の中の同じ年代と常に比較するようにも伝えた。
変わりゆく姿を見つつ、僕はもうこのカイシャはダメかもしれないと感じ始めていた。
貸出とともに回収業務いわゆる取り立て的な業務もあり仕事やノルマはきつい会社だった。でも、仕事のやり方は個人の裁量もあり成果は評価してくれる会社だった。同年代の同僚と愚痴を言いながら歯を食いしばって仕事をする日々は充実していた。もう少し上に行けるかも・・・、と淡い期待を抱きつつもあった。こんなことになる前は。
僕は個人の不動産投資を本格化させることにした。
2.不動産投資
僕は30歳から不動産投資を始めていた。サラリーとは別にお小遣いも欲しかったし節税もしたかった。子供の学費にも普通のサラリーマンでは苦労するのは予想できたのでその足しにもできれば良いと思っていた。前職の第三セクターでかわいがってくれた市役所のヒガシカワさんが競売を教えてくれたのがキッカケだった。この時点では競売で入手した2物件を所有しているだけで毎月10万円程度の家賃収入だった。
これをある程度の規模まで拡大することを決意した。
ちょうどヒガシカワさんが福岡にRCの一棟マンションを買った矢先で福岡で業者を紹介してくれていた。サラリーマンや公務員が一棟モノを買うなんてアヤしさ満点だ。しかし、転職したら収入は確実に下がる。せめてその減少分を補いたかった。年収900万円、勤続7年、大企業の福岡営業部長、投資歴6年、所有2室、その他現預金。それが僕の持ち駒だった。それを使い金融機関から融資を受け不動産収入を増やす。
会社が不安定な状況の中での物件探しや銀行融資付けはしんどかったが単身赴任で時間は自由に使えた。毎日のように帰宅してからネットで物件検索、気になる物件を見つけたら不動産業者にメールし物件がまだ残っているか、値段交渉が可能か、詳細資料をもらえるか問い合わせをした。その中で現地を確認したい物件を見つけると夜に外観を見に行ったり、週末に不動産業者に内見をさせてもらったりした。
不動産は情報産業とも言われる。ネットが普及した現代では優良物件は数秒で売れる。意外と紳士的な業界で早い者勝ちという原則は守られている。ただしそれは一般公開されている物件の話であって、不動産会社が売主から直接預かっている物件については買える人にまず紹介される。当たり前の話で川上の情報と言われるものだ。不動産投資を始めたばかりで実績も資金力もない個人がそんな情報を得られる立場にはなく、ひたすらネット・不動産業者をあたる毎日だった。そして物件を見つけても売約済や商談中だったり値段が合わなかったり、実物は魅力がなかったり、買うまではなかなかたどり着けない。
良い物件に巡り合える確率は1,000件のうち3件、いわゆる「千三つ」という言葉を実感した。
同時に銀行融資についても調べた。都銀や地銀、信金、信組、JA、ノンバンク。いろんな業態の金融機関をあたった。銀行員は相談段階では「がんばります」と前向きな言葉を発するが結局は耐用年数とか居住地とか自己資金とか根本的な理由で断られた。最初に出した資料で分かっていたことなのに。僕自身も銀行員だった時期もあり彼らの対応の裏側は目に浮かぶようだった。ひょっとしたら融資ができるかもしれないと資料に少し目を通す。やっぱダメだー、とため息をつきながら机の引き出しにしまい込む。当然、稟議なんかあげていない。適当な時期に「がんばったんですけどダメでした」、と答えるだけだ。ただ、彼らは返事をすることすら忘れてしまう正直なヒトたちだったけれど。
時間と労力のムダだとは思ったがやるしかない。一通り調べた結果、普通の都銀や地銀で借入することはムリだろうと予想した。
借入できる可能性のあるのはスルガ銀行、オリックス銀行、三井住友トラストL&Fにしぼられた。
当初のアヤしさは調べるにつれて薄らいでいっていたが、それでも普通のサラリーマンに億の融資をするのかは想像できなかった。
ある日、ネットで気になる物件を見つけた。
福岡市南区の1億800万円のRC一棟物件。築18年、ワンルーム26室。表面利回りは13%を超えている。
たまたまヒガシカワさんが紹介してくれた不動産業者のトクイさんが担当の物件だった。
連絡を取り現地を見せてもらった。白いタイル張りの6階建て、一階部分が駐車場になっている構造。六階の廊下から駐車場を見下ろすと埋め込みのレンガの色を変えてマンション名が浮き出ていた。カッコイイ。
トクイさんは帰りの営業車の中で訊いてきた「どうですか?」
“そりゃ欲しいけど。一億以上もするものを一回見ただけで決められるワケないやん・・・”
そうは思ったが、その間にも売れてしまうかもしれない。僕はとにかく買い付けを入れることにした。
不動産の購入はまずは申込み(買い付け)を入れる。この時に自分が買いたい値段を書面に記入し不動産業者を通じて売主に提出する。優良物件だと判断すると物件を見ないで買い付けを入れることも多い。そして同様に不動産業者を通じて値段交渉をしていく。融資の有無によっても値段が変わったりするし、とにかく早く売りたい売主なら大幅な値段交渉に応じてくれる可能性もある。たまには相場を全く分かっていない売主もいたりする。あまりにも低い値段で買い付けを入れると売主が怒って話が終わってしまうこともある。どのくらいで買い付けを入れると合意する可能性が高いかは不動産会社と相談しながらだ。ここが不動産会社としての値打ちだ。
僕は500万円の値段交渉をすべく1億300万円で買い付けを入れた。値引き交渉額の根拠は仲介手数料350万円、登記費用180万円を捻出したいという計算だ。
この物件は売りに出てから半年くらい経過する間に何人かが買い付けを入れたが全員ローンアウト、つまり借入に失敗していた。その都度、物件価格を下げていた。半年前は1億4800万円だった物件が1億800万円になっていた。
売主は別で事業をされていた個人の方だったが今度はローンが通る人かもと期待してくれたのだろうか、1億350万円で値段交渉に応じてくれた。
そうなると買わないとルールに反する。特段、正式な罰を受けるわけではないが案内してくれた会社はもちろん、狭い不動産業界の中で「こいつは買わない、口だけ」というレッテルが貼られることになる。
家族にもナイショだった。
単身赴任先の狭いフロの中で悩んだ。
転職し、収入が減ってビンボーな暮らしを送るのか、イチかバチかチャレンジするのか。日本BEの顧客で自己破産する人を多く見た、裁判にも行った。いろんな知識が身についた副産物でリスクばかりが気になる。でもこんなチャンスはめったにない、たぶん。
考えても考えても考えても分からなかった。
反応がコワかったが都銀に勤務する大学時代のクラブの同輩に相談した。「いいんじゃないかー。欲張らず損しないスタンスでやればいいと思う」。
想定外の肯定的な意見と解釈した。
それで一気に勢いづくわけでもなかったが “融資が通ったら買おう、買ってダメだったら自己破産だ”、と他人任せの部分を残しつつ人生2回目のカクゴを決めた。
買い付けを入れると同時に銀行融資申し込みをスタートした。トクイさんにスルガ銀行に持ち込んでもらい、僕は「ひょっとして融資が通らないか」と福岡だけでなく地元の関西も含め他行をあたった。
2週間ほどするとスルガ銀行で融資が可決した。他行は全滅した。スルガの条件はフルローン、30年変動、金利はなんと4.5%!震える金利だが、満額で保証人ナシ、団信付きの条件はありがたかった。
銀行融資が通ればローン特約も対象外になる。ローン特約というのは「ローンが通ったらこの物件を買います。」と契約書に特約として明記しておくことだ。特定の金融機関を明記することもあれば、明記せずどこでもよいからローンさえ通れば売買契約は成立する場合もある。売主・買主・不動産業者で打ち合わせしながら決める条項だ。
こうして僕は1億の物件を買った。まだ、ヨメさんにはナイショのままだった。
~ 第3章・4章(2/4)へ続く ~
FIREした大家FPの自叙伝「シアワセの逆算」2/4
第5章・6章はこちら
FIREした大家FPの自叙伝「シアワセの逆算」3/4
第7章・8章はこちら
FIREした大家FPの自叙伝「シアワセの逆算」4/4