悲劇は喜劇より偉大である。
皆様方、お世話になっております。日々雑感を綴っております。
60分のリスニングの試験???
最近、愚妻から『今や大学共通テストの英語、リスニング試験が解答時間も含めて60分!』 『リーディングと配点も同じ』と聞きました。しかも『今頃そんなことを知ったのか?』と愚妻からかなり馬鹿にされました。まぁ『そんなこと知らんでも毎日困らないが…』と心の中で叫びましたが、下手に逆らうと厄介なので、そのまま静かにしておりました。
何のために?
これだけ英語の試験を肥大化するには何か意味があるのでしょうか?以前、大学院時代の指導者が『仮に入試科目を一つだけにするなら英語だ』『英語は努力に比例するので、英語の試験をすれば、真面目に勉強をちゃんとする人か?サボりか?は直ぐにわかる。』と言っていた話をご紹介致しました。まぁ、それはそれで良い試験方法であることは理解できます。
(英語という魔法)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5145824/
それはそうかもしれませんが、結局英語の試験を豪華にすれば、英語ビジネス産業が儲かるだけのことで、日本中が振り回されているように思えてなりません。
必要な人だけで良いのでは?
結論申し上げますと、日常で、更には長期においても、高度な英語に関わる人、ほとんどいないのではないでしょうか?そんな無駄なことに、今や小学校からシコシコ勉強させられているのです。相変わらず『無駄を省く!』と世間では叫ばれているようですが、真っ先に省いても良いのでは?
イギリスの警察官は必要な人だけが拳銃を所持しているように、英語も本当に必要な人だけが深く学べば良いのでは?と思ってしまいます。
(TOEICという悪夢)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5155218/
実際、高校で英語を教えていたという人の話では、不定詞がわからないまま高校に入学し、大半がわからないまま高校を卒業していく、そんな状況が続いていたそうです。言い換えれば、本来不定詞は英語における非常に重要な文法であるにもかかわらず、全く理解していなくても、立派な立派な社会人?になることができ、その後も大して困ることはない、ということでしょうか?
(何でもタダにすれば良いというものではない?)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5181407/
雑誌会に見る絶望
このコラム欄の隣に『雑誌会の部屋』というコーナーを設けております。
(雑誌会の部屋)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/service1/
15年程前よりメールで配信していた活動内容の最近の分のみをご紹介しております。
元ネタが英語なので、さすがに『英語知らん』ではできない活動です。
配信先は大学関係者など、いわゆる『インテリ』と呼ばれる方々も多いです。
活動開始より、ずっと一人でやっておりますので、以前は『一人雑誌会』とも称しておりました。ただ、一人でやっていると内容も偏るし、ペースも遅くなってしまうので、一緒に活動していただける方を探して続けておりました。そこで、配信先である数百人の方々に再三にわたって呼びかけておりますが、未だにどなたも手を上げる方がおられません。それどころか、何とインテリと言っても差し支えがない大学関係者の方々ですら、『英語はちょっと…』とか言われてしまう始末でした。
ラジオのパーソナリティーも
更に、地元ラジオ局では興味深い現象があります。外国語大学を卒業し、かつては公共放送のアナウンサーもやっていたというパーソナリティがMCを務める番組では頻繁に自らを医療ジャーナリストと称して豪語しています。随分長く世界的権威のある医療雑誌を購読しているみたいです。ところが、実際に読んでいるのは『日本語版』だそうです。あくまでも一般論ですが、いわゆる日本語版は記事が間引かれていて、早い話がその雑誌をしっかり読んでいることにはなりません。もっとも、多くのリスナーにとっては、原版であろうと、日本語版であろうと、どうでも良いのです。それだけ一般社会において、『英語に関わる機会はほとんど無いに等しい』ということなのでしょう。
てなことが、この国で長年にわたって行われて来た『英語教育』が行きつく先のようです。