イタルくん(酒井格さん)の思い出
TOEICが原因で平社員に
以前、TOEICの結果が悪かったので管理職から平社員になった友人の話をしました。
(TOEICという悪夢)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5155218/
最近、その本人も含めて数人で集まることがありました。そこで、その後の事情を聞くことができました。本人も日頃英語を使うことは皆無なので降格について疑問を抱いていたそうでした。ところがそこの会社の社長が『TOEICは一つの題材で君は努力が足りなかっただけだ』と言われて本人は納得したみたいです。
やはり悪夢では?
あるいは、前職時代の元同僚が言っていました。TOEICの点数は抜群に良いそうです。(800点台?)ところが日頃英語に接することはほとんどなく、あるとすればTOEICの勉強をしている時だけだそうです。一方、私はTOEICを受けたことはありませんが、英語には週の半分以上は接するものの、TOEIC未受験で困ったことはございません。どういうことでしょうか?
やはりあのTOEICは英語教育ビジネスのマッチポンプ商法に思えてならないのですが、英語とは関係のない単なる我慢大会の会場ならば、悪夢としか思えません。
努力が足りなかった?
降格とかがあったからか?友人は『努力はすべき?』と言っていました。特に『高校時代、入学と同時に勉強すべきであった。努力が足りなかった。』と言っていました。突っ込んで聞くと『高校時代、残り少なくなって慌てて3教科だけ勉強するのが精一杯で中堅私立大学に入るのがやっとだった。』と後悔めいたことを言っていました。その場にいた他のメンバーも全員私立大学出身者でしたが、同感だと言っていました。
無償化は昔からあった
その差は縮まったとは言え、今でも国立大学と私立大学ではかかる費用は違います。私が学生の頃は理工系で数倍(差額で100万円以上/年)でした。そこに当時から国立大学には授業料免除という制度がありました。同級生の中には免除してもらっている人もそこそこいました。父親がお亡くなりになったなど、諸事情いろいろあったようです。親しい友人もその一人でしたが、授業も真面目に出席し、卒業後は民間会社で技術者として、リーダーとして現在でも活躍中です。
投資の意味あり
国立大学で授業料を免除してもらうということは、その穴埋めに税金が使われるということです。早い話が国民の皆様から学生の将来を期待して投資してもらうということです。上記のように在学中は真面目に勉強し、卒業後も産業界で十分な活躍をしているのであれば、投資の意味は十分あったと思います。
てなことで、『元々授業料が安かった上に授業料免除の制度がある国立大学に入学するためには、それなりの努力も必要であったことは十分理解できる。』というのが最近集まった友人たちの結論でした。
やはり何でもタダにすれば良いというものではない?
今は時代が変わったのか、授業料免除も国立大学だけでなく私立大学にも枠が広がったようです。
(高等教育の修学支援新制度)
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/hutankeigen/index.htm
しかしながら、友人たちは『安易な環境を与えてばかりいると、いずれ努力が必要となった時に頑張る習慣がないと理不尽なことになり、被害妄想に走るだけではないか?』と自らの様々な経験をもとに語っていました。
何でもタダにすれば良いというものではない?