断られた空間の余地
水槽の設置を考えたとき、
値段は大切な判断材料になります。
水槽の大きさ。
設備。
魚の種類。
メンテナンスの回数。
条件が近ければ、
値段を比べるのは自然なことだと思います。
ただ私は、
値段だけで決めていいほど、
どこの水槽も同じではない
と思っています。
仕事を続けていると、
自分が管理するもの以外にも、さまざまな水槽を見る機会があります。
魚は元気に泳いでいる。
水は澄み、ガラスもきれいに清掃されている。
魚を生かすこと。
水槽をきれいに保つこと。
プロが管理する水槽では、
この部分はすでに高い水準にあるものがほとんどです。
それでも私は、
素直に見入ることのできる水槽に出会うことが、ほとんどありません。
少し離れて水槽全体を見ると、
どこかに違和感を感じてしまいます。
岩の位置なのか。
光なのか。
空いている場所なのか。
すぐに理由が分かることもあれば、
感覚でしか分からないこともあります。
以前、
『100点のはずなのに』というコラムを書きました。
魚は元気に泳いでいる。
きれいに管理もされている。
それでも、何かが違う。
今回は、その先の話です。
私が水景をつくるとき、
何度も少し離れて全体を見ます。
何かに引っかかれば、手を入れる。
岩を動かすこともあれば、
何かを足すことも、減らすこともあります。
そして、また離れて見る。
そうやって、
自分が感じる違和感を一つずつ消していきます。
何かを足して人の目を惹くことが、
悪いわけではありません。
ただ、私が水景をつくる中で突き詰めているのは、
熱帯魚が本来持っている美しさを、
水景そのものが邪魔せずに見てもらえる状態です。
熱帯魚の色も、形も、動きも、
私がつくったものではありません。
その美しさは、
最初から熱帯魚が持っています。
だから私は、
その美しさを見る人の意識を、水景が邪魔しないようにしたい。
そのために全体を見る。
自分の意識がどこかに引っかかれば、
また手を入れる。
そして、もう一度見る。
それを繰り返していくと、
私自身が余計なところに引っかからず、
素直に水景へ入っていけるようになります。
そのとき私は、
一つ一つの魚や岩ではなく、
水景全体を通して美しい
と感じます。
同じ大きさの水槽でも、
同じような設備でも、
同じ回数のメンテナンスでも、
そこにできる水景まで、
同じではありません。
見積書に書かれているものは、
かなり正確に比べることができます。
けれど、
その水槽を見たときに何を感じるかまでは、
見積書には書かれていません。
もちろん、
値段を比べることは大切です。
私自身も、
予算を無視して水景をつくることはできません。
ただ、水景を見て、
私の考え方を知ったうえで、
「この人につくってほしい」
そう思っていただけたのなら、
そのあとの予算は相談できます。
大きさを変える。
設備を考える。
使えるものを活かす。
限られた予算の中で、
その水景をどう成立させるかを一緒に考えることはできます。
私にとって、
値段で選ぶことと、
選んだ水景を予算の中で成立させることは、
少し違います。
水槽を選ぶとき、
値段を見る。
そのとき、もう一つだけ。
自分は、この水景を見ていたいと思えるか。
そこにも目を向けてもらえたらと思います。
関連コラムはこちら
100点のはずなのに


