客観的な証拠の重要性
メディアの報道や政府、地方自治体、公務員といったものに対して「公正中立」を求める声をよく耳にしませんか?
「完全な中立」はありえない
確かに、こうした立場の人たちには、公正中立を求めたくなるのが通常の感覚だと思います。
ですが、これはあくまでも理想の姿を求めているに過ぎません。
「完全な公正中立」などということは、現実にはほぼありえません。
それなのに公正中立を求めることは、現実を無視した非現実的な要求ということになってしまいます。
どうして「完全な公正中立」が現実にはありえないのか、まずはメディアに絞って考えてみたいと思います。
メディアは必ず選択をしている
みなさんがメディアに期待することは、政治的傾向や思想に偏ることなく、公正中立に真実のみを報道してもらうということでしょう。
しかし、メディアは、事実をただそのまま報道するということができません。
報道できる時間や紙面などの制約があるからです。
よって、まずそもそも「世の中で起きた出来事をすべてありのまま報道することは不可能である」というところから出発しなければなりません。
また、こうした時間や紙面上の制約、さらには取材するマンパワー上の制約などから、メディアは報道のために素材を取捨選択します。
初めから取材対象を選別してしまうこともありますし、取材はしたけれども実際には報道できない、ということもあるでしょう。
ここでは「選択」が行われますから、何かしらの基準や考え方が必ずここに入り込んでしまうわけです。
価値観が入り込む
さらに、メディアは、取捨選択のみならず、報道の際の表現方法についても、一定の方向性や価値観を前提とした表現方法を使うことが可能です。
もちろん、あえてできる限り中立に表現しようとすることも可能だと思います。
ですが、多くのメディアは会社組織ですから、広告主などの顧客のニーズや意向というものは否定できないはずです。
これでご理解いただけたでしょうか。
私たちが目にするメディアの報道結果というのは、必然的に、何かしらの価値観に基づいた結果となってしまっているのです。
結局、メディアが「公正中立」であると考えること自体が、非現実的な要求なのだということです。
メディアの側を変えることはとても難しいことであり、非現実的なことだと思います。
ですから、むしろ、報道を目にする私たち一般人が、こうした「完全に中立なメディアなど存在しない」という現状を理解して、各メディアによる報道の違いというものを意識して報道に触れていくということが、とても大事なことなのです。
どんなメディアであっても、その報道をそのまま鵜呑みにせず、いろいろな角度から物事を考え、判断する習慣を持つことを心がけるようにしてください。