イメージ力の差が未来の差
自分の思い通りに生活できれば、どれだけ幸せだろうと思います。
これには、自分を磨く事が役立つように思いました。
何か修行でもしなければならないのかと言うとそうではなく、結果的に修行した事になる・・・こんな感じで日々を過ごす事ではないかと思います。
例えば、人生に山あり谷ありとは誰でも受け入れる事ができます。
私たちは、フィクションであれ、ノンフィクションであれ、放映される登場人物に共感したり、今後の展開を想像して楽しんだりしなが、テレビ番組を見る事があります。
登場人物の山あり谷ありの人生を楽しんでみているのです。
ここに自分の人生を楽しむヒントが隠されているように思います。
現実の自分の生活をテレビ番組のように観る事ができれば、人生を楽しむ事ができるということに他なりません。
そのための1つの方法が、自分の人生をあたかもテレビ番組の主人公のように離れて観る事です。
これは、自分の身体や感情、思考を自分と切り離す事で、結果として修行した事になり、人生を楽しむことになります。
疲れて眠い時、「身体は、眠たがっている。」
辛い気持ちになった時、「感情は、辛いと言っている。」
よい考えが浮かんだ時、「思考は、よい考えを浮かべている。」
などと自分と切り離し、客観的に観察しているように眺めてみます。
例えば、重くなった身体の原因を探ってみます。こんな営みがあったからだと出来事を思い出す時、きっとこれだろうと頭の中に過去の行動が映し出されてきます。この時、描き出された映像をあたかもテレビ番組のように眺めてみます。
そして、そこに辿り着くまでの営みを時間の流れにそって、映し出します。あたかもテレビ番組を見ているようにです。
そこには、自分の人生のストーリーが映し出されています。
こんなことをする人なのだ。
こんなことを考えているんだ。
こんな行動をするのだ。
などと眺めて観るのです。
そこには、誠実に、精一杯生きている自分が映し出されます。
自分らしく生きている様子が、映し出されています。
その映像を眺めながら、共感したり、感動したり、後悔したりする事になると思います。
この先も生き続ける自分が、そこにいます。
どんな人生を歩んで欲しいのか、期待が生まれるかもしれません。よりよい生き方を教えたくなるかもしれません。辛さに堪える励ましの声をかけたくなるかもしれません。
いずれにしても、テレビ番組のように、現実ではなく、頭の中のイメージでしかありません。
現実は、今と言う、一瞬でしかありません。
過去をテレビ番組のように、そして、未来を作り出す指南役のように自分から離れて見る事ができれば、楽しむ事ができます。
つまり、自分の身体、感情、思考から離れることが、修行になるように思います。
私たちは、過去や未来に囚われて、なかなか今を生きられないように思います。
「こんな事が辛い経験を二度としたくない。」・・・過去に囚われている
「こんな事が起きたらどうしよう。」・・・・未来に囚われいる
過去を変える事はできません。でも、過去から学ぶことができます。過去を生かす事もできます。
過去のすべては、明日を切り開くための材料になります。
その材料が、すでに今の自分には備わっているのです。
それを使えるのは、今の自分しかいません。
そして、指南役として、未来のために使えるのは、今の自分しかいません。
今を生きるためにも、身体、感情、思考と自分を切り離す自分が必要になります。
「〜を感じた。」から動くではありません。これは、身体に流される自分です。
「〜したい。」から動くのではありません。これは、感情に流される自分です。
「〜すべき。」だから動くのではありません。これは、思考に流されている自分です。
指南役は、これらを知った上で、方向を示す事になります。自分から離れて見ているから、自分の人生という番組を制作する事ができます。
山を作るか谷を作るか、全て自分が決めるのです。
どんな番組を作れば、楽しく生きられるのか、今の自分が決める事になります。
これは、身体や感情、思考に流されない自分を磨く事に他なりません。
よりよく生きたいと願うのは、自分です。それも、身体や感情、思考から離れたところの自分です。
これは、自分を磨かないと、見えない世界かもしれません。