途切れる恐怖
妻が、白内障の手術のために入院しました。
そのため、2日間は、一人で生活する事になりました。
若い頃に単身赴任をした経験以外、一人になるのは、久しぶりになります。
ただ、若い頃とは、ちょっと気分がちょっと違います。
今後独居生活した場合の擬似体験になると考え、心の中を探ってみる事にしました。
脳は、常に安心安全のために働きます。
これまでの安定した生活が変わるため、不安が過りました。
お皿一枚でも、妻がどのように整理していたのか、知らないため、探す事になります。
洗濯機の使い方も知らない自分もいます。
知らない、分からない事が、日常生活に一杯あり、不安で一杯になりました。
食事、掃除、洗濯、どれ一つとっても、満足にできないのです。
不安と同時に、これまで何も考えずに日常生活を送れたのも、妻のお陰だと、感謝の気持ちが湧いてきました。
今まで影でどれだけ支えてもらっていたのか、有り難さを実感しています。
そして、一緒に居られることを当たり前にしていましたが、どれ程幸せな事なのか、改めて感じる事になりました。
まだ、私の場合は、一人生活をしなければならないことは、事前にわかっていた分、心にゆとりがありますが、震災で家族を亡くされた方々は、その状況が予告なく、突然やってくるのですから、そのショックは、計り知れません。
台所に入ると、何枚かの付箋を発見しました。
妻が残したメモです。
一人で生活する私を想定した妻の配慮に心から感謝の気持ちが湧き上がってきました。
目の前に妻はいないのですが、一緒に居てくれる感じがして、温かくなりました。
一人も頑張ろという気持ちが湧き上がってきます。
形がある無しにかかわらず、つながりを感じる事が、どれ程安心につながるものなのかを実感しています。
母を亡くした時に母が自分の中に生きていると感じたように、心の中に、妻が一緒に居てくれると感じるのです。
この一緒にいる感覚は、安心安全につながっているようです。
・私を気遣ってくれる人がいる
・私をわかってくれている人がいる
・一緒に考えてくれる人がいる
・一緒に動いてくれる人がいる
・一緒に感じてくれる人がいる
心の中にこのように感じる人がいる事が、幸せなのだろうと思いました。
いつも一緒に居てくれてありがとう
そんな気持ちになりました。
さて、私自身を振り返ってみると、
「私は、そのような存在になっているだろうか?」
と、自分の至らなさに気づきます。
それと同時に、一人でも多くの人に安心安全を提供できる存在になりたいと思いました。