可能性を広げるのは、意思
私たちは、さまざまな要求に出会う事があります。
その要求に対して、
「私には無理だ。」
「私にはできない。」
と、捉える事があります。
でもこれは、事実ではありません。
もし、要求を受けたくないとの気持ちから使われた言葉であるのであれば、これは、言い訳に使われただけで、本当は別の理由があります。
そうではなく、もし、要求を受け入れる気持ちはあるにも関わらず、この言葉が使われたとすれば、過去の体験や経験に基づいて作り上げた自分のイメージで判断した事になります。
例えば、
私は、そんな器ではない。
私には、それだけの力はない。
という思い込みが、「無理だ。」「できない。」と判断させてしまいます。
一旦、この判断を下すと、脳は自動的に、その思いに合った材料を次から次へと見つけ出し、「無理だ。」「できない。」を確信させるように動き出します。
過去に起きた事実は過去の事実であって、今ではありません。
あくまで、過去は過去です。
現在の自分は、過去の体験経験を経て、失敗から学び、変化し、成長した自分です。
過去の自分ではありません。
過去に囚われているだけで、今の自分ではありません。
つまり、思い込みであって事実ではありません。
もし、
学んだ体験経験を活かせばできるかもしれません。
見方考え方を変えればできるかもしれません。
条件を整えればできるかもしれません。
仲間の支えを築けばできるかもしれません。
このような努力を欠いて、判断しているかもしれません。
いずれにしても、今の自分ならば、できる可能性があります。
このように考えると、
「自信がない。」
「時間がない。」
「負担だ。」
というのも事実ではなく、思い込みだと気づくと思います。
もしかすると、
「自信が持てるかもしれません。」
「時間が作れるかもしれません。」
「負担にはならないかもしれません。」
私たちは、事実ではなく、思い込みで生きている事が多いように思います。
その可能性を引き出すためにも、
「これは、思い込みで、事実ではないかもしれない。と、疑ってみるのもよいかもしれません。