深い愛情に触れる
誰でも甘えたい気持ちがあります。そして、甘える事ができる人がそばにいてくれると、安心して生活ができます。安心できるから自分を曝け出す事もできます。
春休みで、朝から、1日一緒に生活していると、子どもたちの間にそんなつながりができてきます。
本音をぶつけ合って喧嘩になる事があります。
昨日も、自分のしたいことを優先するため、遊びがなかなか決まりません。
「何でも自分の思い通りになると思っている。思い通りにならないとすぐに泣く。」
などと不満をぶつける場面がありました。
言われて泣き続ける子がいます。そして、泣いている子を慰める子もいます。
しかし、泣き止む事はありません。
困った子どもたちは、そっとしておき、遊び始めました。
なかなか泣き止まないので、私も何とかしようと、気持ちを切り替えるために畑仕事でも一緒にしようかと声をかけますが、なかなか動きません。仕方なくそのままそっと私も見守る事にしました。
その後、しばらくすると、気持ちが落ち着いたためか、みんなの遊びに加わろうと動き出しました。
仲間も何もなかったかのように受け入れ、一緒に遊び始めました。
こどもの世界で起きることは、私たち大人の世界でもありますが、何もなかったように受け入れる純粋さは、とても素敵な世界だと思いました。
わだかまりがいつまでも消えないで残っていて、関係をギクシャクさせたり、遠慮して関わり方を変えたりすることがある大人の世界とは異なり、今を十分に楽しむ事ができるのです。
ここには、偏見やこだわりがありません。一緒に遊ぶ仲間がいるだけです。
より楽しく遊べるように、タイムキーパーをしたり、審判をしたりしながら、私も関わり、楽しい時間を過ごしました。
私たちは、何か出来事がおきると、それに意味づけをし、その意味づけに従って行動する事が多いように思います。その意味づけは、自分にとって都合の良いもので、それが安心安全につながるように解釈します。
例えば、
「私には関係ない。」
「できるだけ、関わらない方が、いいかも。」
「情けない人だ。可哀想に。」
「あの人らしい。でも、私は、あんな風にはならない。」
「あんな生き方をしていたら、損だ。」
などと、他人事にして、距離を取る事があります。
純粋に楽しむことだけ考えていれば、その人なりとは全く関係がないはずなのに、相手に合わせて自分の言動を制限している事があります。
仕事上の人間関係で悩みを抱えるのも、トラブルを引き起こすのは、もしかすると、純粋に仕事を楽しんでいないからかもしれません。
家庭での夫婦の問題でも、子育ての問題でも、純粋に楽しむことができていないから起きるのかもしれません。
偏見やこだわり、エゴが邪魔をしているために楽しめないのかもしれません。
純粋になれば、苦しさや痛みも楽しみの材料にできそうです。
子どもたちの姿から、純粋に生きる事の大切さを学ぶ機会になりました。