壁は、乗り越えるもの
クローズアップ現代で「教育虐待」が、紹介されました。
この言葉を知った子育て中の方々が、自分の子育てに不安を感じたり、自信をなくしたりするのではないかと心配しています。
偶然ですが、不登校のお子さんをもつ保護者の方が、相談がありました。
子どもから、
「お母さんが悪い。だから、私がこうなったんだ。」
と言われ、子どもは好きな事ばかりやって、全く言う事を聞かず、直ぐに感情的怒るという状況で、何をしてよいのかわからないとのことです。
この相談にも通じることだと思いました。今後自信をなくした保護者からの相談が増えないか心配です。
現在社会は、弱者に視点が当たっているため、さまざまな分野でハラスメントが取り上げられ、注目を浴びています。
教育の場でも弱い子どもの立場から考えた大事な考え方だと思います。
(もちろん、人権感覚が高まってきたと考えることもできます。)
ただ、子育ては、育てる側と育つ側の両方で成り立っています。
自信をなくした親が、まともな子育てができるとは思えません。親は、もちろん過信ではいけませんが、子育てに自信を持たなければなりません。
虐待になるのではないかと怯えながらの子育ては、不安を抱えた子育てをする事になり、決して両者が求める姿にはなりません。
育てる側は、自信と誇りをもって子育てに取り組む事が大事です。
ここで一番大事なことは、理想をみるのではなく、目の前の子どもを見るということだと思います。
育てる側が、目の前の子どもを見ずに、理想とする子ども像に近づけるために常に理想ばかり見ていると、理想と現実を比較し、今のままではダメだと、目の前の子どもを否定してしまう事になります。
(ここに虐待が隠れています。)
そうではなく、目の前の子どもから可能性を探り、どのように伸びていく、(伸ばしていく)事ができるのかと探り続ける事ができれば、目の前の子どもは生かされ、可能性の先にある理想は広がり、比較される事がないため、否定されることはありません。
山登りで考えると、頂上に立って,「登って来い。」というか、子どものそばにいて「一緒に山を登ろう。」というのかの違いのように思います。
「教育虐待」という言葉に惑わされず、目の前の子どもを第一に考え、子どものために精一杯尽くす親でいてほしいと思います。
子どもは親の姿を見て育ちます。
自信に満ちた親でいるから、子どもも安心してそばにいられると思います。
親自身の生き方にかかっていると考え、自分自身を磨き続ける親であれば、子どもも自分を磨くことに抵抗はありません。
子どもだけ磨かせようと、一緒には取り組まず、理想だけを口にするから、子どもは、親から離れていくのです。反発するのもその現れてです。
子どもに言う事の裏付けとなる自身の取り組みがあれば、有言実行の素敵な親に映るはずです。
子どもと過ごす時間を確保していますか?
子どもに自分の生き方を語っていますか?
子どもに「愛しているよ。」「一緒にいるからね。」と伝えていますか?
子どもの可能性を子どもに語っていますか?
忙しく働く事も大事ですが、後ろ姿だけでは、子育てが弱くなります。少ない子どもとの時間を有効に活用して、質の高い会話に心がけたいと思います。(親子の時間が少ない分、質でカバーしなければならない時代です。)
言葉の質 (ニューロロジカルレベルの活用)
1 自己認識レベル
アイデンティティを語る(こんな人が素敵、こんな人になる など)
2 信念・価値観レベル
大事にしたい見方・考え方を語る(思いやりが大事、責任を取ろうと など)
3 能力レベル
能力を語る(〜な力がある、力を伸ばしたい。伸びる可能性がある など)
4 行動レベル
行動(すること)を語る(〜したの? これからすることは など)
5 環境レベル
環境について語る(時間はある?物は?〜する人はいる。どこにある?など)
※日頃の会話は4の行動レベルが多い。質は、1や2、3を語ることになる
子どものそばで、「好きだよ。いつもそばにいるからね。」と安心を与える言葉かけと共に自分を語る親でいてほしいと思います。