やるしかない
月間誌を取り始めたので、その雑誌がある空間を独占し始めました。
溜まった量を見ていると、自分なりによく読み続けているなあと関心したり、書かれている内容をどこかで利用できると思っているので、宝物が増えていく感じさえしています。
きっと溜まりすぎて、いずれ捨てなければならない悲しさが必ずやってくるだろうと想像する事ができます。
悲しみが必ずやってくる事は、この雑誌に限ったことではありません。
出会いがあれば、別れがあります。
発生(誕生)があれば、消滅(死)があります。
手に入れることがあれば、手放すことがあります。
これは、自然の摂理のようなものと考える事ができます。
そして、この出来事を一喜一憂することもできますが、一喜一憂を楽しむことなく、淡々と受け入れることもできます。
一喜一憂する時にはかなりのエネルギーを使います。淡々と受け入れる時にはエネルギーの消耗は、少なくてすみます。
このエネルギーをもっと大事な事に利用するために残し、いつでも使えるように貯めておくと充実した生活を送る事ができます。
例えば、(私の場合です。)
よく車のキーをなくします。
キーがないと車に乗れないため、必死になって探します。
妻からは、「置き場所を決めておかないからそうなるんだ。」と責められ、辛い思いになります。
当然、置き場所は決めてあるのですが、他事を考えていると、持って歩くため、つい置き場所でない場所に置いてしまう事があります。
「ボケないでね。」
とも言われ、肩身の狭い思いをしながら、探します。
なかなか見つからないとどんどんエネルギーが出ていく感じがします。
「こんなところにあったよ。」
と、一緒に探してくれた妻が見つけてくれた時には、急に光が差し、妻が、女神のように思えてきます。
ほっとして、車に乗って出かけます。
車のキー一つでもこんな事態を生み出す事があります。
事の発端は、決めた置き場所に置き忘れた事にあります。
他事を考えながら、無意識のうちに車のキーを置いてしまうことです。
車のキーを持った瞬間から、事は始まっていると考えると、得たものを如何にぞんざいに扱っていたかに気づきます。
大切なものとして、キーを扱っていれば、使い終わった時には、感謝の気持ちをこめて手放す事ができます。
それは、出会いであっても、発生(誕生)であっても、手に入れることであっても、全て同じ事のように思います。
その瞬間瞬間を精一杯、心を込めて関わる事が、別れや消滅(死)、手放す事に大きなエネルギーを使う事なく、いつでも使えるようにエネルギーを残しておけるように思います。
思えば、震災のため、多くのものを失った方々が、復興に向けて立ち上がれるのは、その時々を精一杯生き抜き、残ったエネルギーがあるからではないかと思います。
消失にエネルギーを全て使ってしまっていたのであれば、立ち上がれません。これには、私といっしょに探してくれた妻のような支援者の力も大きなエネルギーになっているように思います。
車のキーの扱い一つにも心を込められるよう、一つ一つの出来事に誠実に向き合って生きたいと思います。