孫には負けられない(鍵は目標?)
「自分の思い通りになれば、とても過ごしやすいだろうなあ。」と思う事があります。
逆に、
「こんな事は、起きてほしくないなあ。」
と思っていると起きてしまう事もあります。
どうも、思い通りにならないのが、現実のようです。
年度末の「今を考える」のコラムで
「平和ボケしている私たちを戒める大きな出来事が起こる予感さえします。」
と書きましたが、起きてほしくない事が起きてしまいました。
1月早々の能登半島地震、羽田空港での航空機の衝突事故がそれです。
不幸な出来事が立て続けに起きた事は、とても辛いことです。
これらの出来事と出会い、自然の力の大きさや人間の力の未熟さを痛感しています。
完璧な人は一人もいません。未熟で弱い一人ひとりです。でも、「自分は正しい」と思って生きている人が多いように思います。
これは、自分を守ろうする脳の働きによるもので、当たり前と言えば当たり前です。
よりよいものにするためには、未熟さを素直に認め、他者の力を借りながら、完璧に近づける努力が必要です。
災害や事故は、必ず起きるものと構えていれば、それなりの支え合いを準備しておく事ができます。
災害であれば、復興のための協力体制であり、事故であれば、未然防止の協力体制になると思います。
いずれにしても、他者との協力が必要になります。
協力するときに役立つのが、「フォークリフトになる」ことだと思います。
相手の主張と対立せず、言い分をよく理解し、相手の言い分に乗っかってみます。
ところが、違和感が生まれます。(それは、対立する自己主張したい内容があるからです。)
乗っかった上で、至らぬ点を指摘されると、相手は、自分の主張を見直す事になります。
ですから、対立にならず、指摘された内容を自分の問題として捉える事になります。
こうすると、自分の主張が、相手の主張の中に生かされていくように感じる事ができます。
※トラブルが起きるのは、自己主張の綱引きをするときです。
先日も会議の進め方に異論があったので、それを伝えました。
相手は、引く事はありません。このままだとまずいと思い、
「わかった。それでいきましょう。」
と、相手の主張に乗っかった上で、
「ところで、この事はどうするの?」
と、違和感を感じる事があり、質問しました。
しばらく、考えて、その対策を話されました。
まさに、こちらの主張が入り込んだ瞬間です。
トラブルが起きる事なく、スムーズに進み、自分の思いが生かされ、関係性を崩す事もありませんでした。
おかげで、l自分の中で、「譲れることと」と、「譲れない事」を見つける事ができました。
能登半島地震や羽田空港での航空機の衝突事故に巻き込まれた人々のための協力体制が充実することを願いながら、自分の生活を見つめてみました。