あとは、死を待つだけ
夫婦2人の生活が長くなると、阿吽の呼吸で事が進む事が、多くなります。
足りない事があれば、補い合い、支え合っていく事が多くなります。
ただ、これに慣れすぎると、コミュニケーションが少なくなり、大きなズレが生まれてくる事になります。
私は、退職後に事業を始めたり、地域の役員を続けたりしていますが、これは、支えてくれる妻がいるからできる事だと思っています。これに加えて親の介護も加わり、かなり妻への負担も多くなっています。
感謝を伝えているつもりでも、なかなかそれが、伝わっていないようです。
昨日も、朝から行事のための準備のために忙しく動いていました。
そのため、いつも私がしている父の送り出しの仕事を妻にお願いする事になりました。
行事が終わり、昼食を一緒にしている時に妻から
「いつまで続けるの?」
と、言われました。
私にとっては、かなり厳しい一言です。
みんなのため、地域のためと活動している事が、妻からすると、自分の好きな事をしているように映っています。
支える事が大変だという思いが、この一言になって返ってきたように感じます。
日頃から、感謝を伝えたり、負担を減らすように手伝いをしたり、妻の仕事を変わったりしていますが、なかなかうまく伝わっていないようです。
同じ船に乗っていますが、どうも見ている世界が違うようです。
何が原因なのか、探ってみる事にしました。
日々の生活を振り返ると、
その1
妻から、
「今日は、何かある?」
と聞かれる事が多くあります。
これは、私の行動に合わせて、自分の動きを決めようとしている意図を感じます。
ところが、私から、妻にこの言葉を投げかける事は、ありませんでした。
その2
「お風呂洗った?」「新聞は?」「介護用のバックはどこ?」などと、私がしている家でしている仕事の確認の言葉が多く、聞かれます。
やってあるなしに関わらず、伝えてきます。
台所にいる事が多いので、確認できずにいるのは仕方がないとは思いますが、私の取り組みを気にかけてくれています。
ありがたい反面、もっと事実ををみてほしいとの思いも湧いてきます。
その3
「私がいなくなったら、何もできないのでは?」
と、私を気遣う言葉をぽろっと口にする事があります。
何となく、これらの言葉から、
「現実を見ず、夢ばかり追っかけている子ども」
のように私の姿が妻には映っているのではないかと思いました。
その私を支えるために振り回されている感じかもしれません。
実際、夢を語る事は多く、仕事も完璧にできる事なく、忘れることもあり、頼りなさがあるのは、確かです。
このことから考えると、感謝をしたり、妻の仕事を手伝ったりすることで、解決できる問題ではないように思いました。
「いつまで続けるの?」を妻の不満の声と捉えていましたが、不満ではなく、不安の声のように思えてきました。
夫婦での生活の行き先が、明らかになっていない事が原因のように思いました。
同じ船に乗ってどこへ行こうとしているのかが、見えないために、見える世界が違っているように思えたのかもしれません。
妻からすると、いつまでも現役でいる感じがして、老後を楽しむ生活をしていないのかもしれません。
私は、老後を楽しんでいるつもりでしたが、ここに大きなズレがあったように思いました。
妻のしたい事や2人でしたい事を聞き、実現できるように努力する事が、問題解決の糸口のように見えてきました。
整理して見えてきた事を伝え、妻に
「今日の予定は?」
「何かしたい事はある?」
などと、声をかけてみようと思います。