水は、高い所から低い所へ流れる
子どもの自立を目指しながら、子育てをしていますが、いつまでも、子どもから離れられないために、自立が遅れる事があります。
その芽が、日頃の何気ない子どもへの対応の中に潜んでいる事になかなか気付けないのが、私たちです。
先日、孫が
「友達の所に遊びに行ってもいい?」
と、尋ねられました。
計画通りに生活できなかったため、勉強してから遊びに行くという生活をしていましたが、遊んでから勉強したいとの思いがあり、このような質問を投げかけてきたのです。
この時、ちょっと躊躇しましたが、
「計画通りできるようになってきたので、いいよ。」
と、話しました。
これは、よく見かける何気ない会話です。
この時の躊躇が何を意味しているのかをじっくりと振り返ってみました。
孫は、私を頼り、主従関係から、許可を得て、遊びに行くという選択をしています。
孫は、遊ぶことへ許可を得る事で、安心して遊びに出かける事ができます。
いつも許可を得る生活をしていると、依存から抜け出す事ができません。
計画通りに生活できていると判断するのは、私ではなく、孫自身です。この判断が自立への一歩になります。
孫に頼られることの嬉しさに浸っていれば、今の状況を受け入れる事になります。
また、正しい判断は、私にできる事であって、未熟な孫ではないとの思いがあれば、やはり、今の状況を受け入れる事になります。
この対応では、常に依存から抜け出す事はできません。
自分で判断し、決めた事に責任をもち、実行して初めて「自立」する事になります。
そこで必要になる質問が、
「あなたは、どう思う?」
になります。
自分の考えを明らかにして、適切な判断を下せるか探らなければなりません。
私があの場面で躊躇したのは、「孫は計画通りの生活が身についているだろうか。」という判断に迷ったからでした。
もしこれが、「孫は計画通りの生活が身についていると考えているのだろうか。」との疑問が生じたのであれば、きっと孫の自立へ導く事ができたように思います。
自立という軸がずれないように意識していないと、依存の誘惑に流されてしまいます。
いつまでも、依存を続けたがっている私が、自立を願っている私の足を引っ張っているように感じました。
まるで、木につかまっていても、強風のため、つかまっていた木から手が離れ、吹き飛ばされてしまったかのようです。
次からは、
「あなたは、どう思うの?」
と、尋ねてみようと思います。