頼まれた仕事
最近、「いい加減」の大切さを感じる事が、多くなりました。
もちろん、「適当」「ぞんざい」「無責任」という意味ではなく、「よい加減」という事です。
「加減」とは、加えたり減らしたりすることなので、丁度よい具合に加えたり、減らしたりすることになります。
自己主張が強いと相手は、引いてしまいます。逆に相手の主張ばかり聞いているとストレスが溜まります。
相手の考えを受け入れながら自分の考えを主張します。
考えることだけでなく、行動も同じです。
全体を眺めながら、自分の動きを決めます。
これらは全て「いい加減」の結果だと思います。
「いい加減」は、自分の枠にこだわっているとできません。相手を意識しなければなりません。
相手の中に入ってしまうことなく、両者が見える位置で、物事を進めることになります。
これがなかなか難しいのです。
相手を理解しなければ、相手の位置が定まりません。その後上で、両者が見える位置を決めるのですから、当然、立ち位置もはっきりしなくなります。
先日、高齢者のスポーツ大会がありました。参加者、運営全て、高齢者です。
競技に参加するために、集合場所に集まります。しかし、それぞれのチームがわかるように用意されたプラカードを持つ係の人が、私のチームにはいませんでした。
待っているだけでは、困る人が増えると思い、プラカードを探して、持ちました。
一緒に参加した妻からみると出しゃばった行為に見えたようです。
同様に、ルール説明でも言葉だけで説明されるので、私を含め、説明の内容がわからず困っている人が、多くいました。
思わず、「見本をやって見せてよ。」と声を出してしまいました。
なかなかうるさい参加者に見えたかもしれませんが、全体を眺め、足りないところは補う(加える)ことで、事が上手く回っていきました。
これは、「加えた事」で上手く回った例です。
逆に「減らす事」で上手く回った事は、
地域の取り組みに新たな提案をした時の事です。
自分なりに精一杯考えたことなので、譲りたくない気持ちが強く出る事があります。
ここは抑えて、謙虚に相手の考えを受け取る事になります。
この時、我慢ではなく、よりよいものに作り変えようととする気持ちが強い時には、相手の考えを取り入れる事ができます。
「いい加減」になるためには、何が大事なのか、考えてみました。
実践からは、勇気、向上心や誠実さ、謙虚さなどが必要だと思いました。
ハッと思いついたのは、儒教思想の中核をなす重要な概念である「仁義礼智信」です。
「仁」は人間らしい情け深さや他者を思いやる心
「義」は正義や道徳的な行い
「礼」は社会的な儀礼や作法
「智」は知恵や理性
「信」は信頼や誠実さ
全て「いい加減」に必要な内容を含んでいます。
まさに「温故知新」そのものです。
自分の至らなさに気づく機会になりました。