砂時計の詩
夏休みが終わり、学校へ通う生活が始まります。
上手く切り替えができないために、学校に通えなくなる子どもが、増える時期でもあります。
新聞の記事に「学校に行かなくてもいい。」という記事があり、気になりました。
事情はそれぞれ異なると思いますが、これからの世の中でどんな子どもが育つのか、心配になってきました。
夏休みの生活の仕方を振り返ることなく、安直にこの言葉をすることは、子どもの耐性を鍛える大事な機会を奪うことになります。
学校に通う事に期待を持ったり、生活のリズムを作り、規則正しい生活を送ったりする事なく、感情のままに楽な生活を送ってきたのであれば、学校に通う生活への負担は、当然大きくなります。
その負荷に耐える力がなければ、学校に通う事だけでなく、他の出来事であっても、同じ程度の負荷が掛かれば、耐えることはできません。
この背景には、負担のかかる事は避け、できるだけ負担がかからない生活をしようとする風潮があるように感じます。
昨日も、「5年生までは子ども会で活動していても、6年生になると、役員を引き受けなければならないので、退会させる親がいる」という話を聞きました。
親が負担を避ける生き方をすれば、当然子どもも見本を見て育つわけですから、負担を避ける子どもになります。
どのように負担を乗り越えるか、子どもに見本を見せる絶好の機会を失ってしまいます。親の背中を見て子どもは育ちます。
子どもは、親の言う事ではなく、親のするように育ちます。
負担を感じた時にどのように乗り越えるかは、人それぞれです。
それぞれの事情に合わせて、知恵を使い、適切な乗り越え方を見つけることで乗り越えます。
それよりも、大事なことは、何故避けずに負担を乗り越えなければならないのかという理由を見つけることです。
私たちは、意味あることならば動く事ができます。
乗り越えることに意味付けをすることで、前向きさが生まれ、乗り越える取り組みを支える力になります。
乗り越えられない負担は、目の前に現れません。乗り越えるために負担が現れます。
負担に立ち向かう勇気があなたを育ててくれます。